長文集  10月3週  ★世紀末の今日まで(感)  wapu2-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】世紀末の今日まで、私たちが追い求
めてきた豊かさとは、何だったのか。それは
一〇〇年以上におよぶ、近代化、西洋化、そ
して工業化の道程であった。この前の大戦ま
では、軍国主義と植民地主義の道も加わって
いた。【2】戦争に負けたあとは、会社中心
主義や経済成長主義の延長線上に、豊かな暮
らしを夢見てきた。
 欧米に負けまいという明治の指導者たちの
夢は、実現した。経済大国になりたいという
戦後の指導者たちの夢も、ほぼ達成された。
 【3】にもかかわらず、私たちの暮らしが
、豊かになったとはいえない。どうやら、見
る夢を間違えていたようである。古い夢を捨
てて、新しい夢を見なければならない。
 【4】時代の転換期にさしかかった今日、
私たちが求める豊かな暮らしの課題は、「循
環性の永続」、「多様性の展開」および「関
係性の創出」である。これが二一世紀の新し
い夢である。循環の定常的な流れがあり、多
様な暮らしがあり、人びとの繋がりが深まる
社会を築くことである。
 【5】それゆえ、世界でもっとも豊かにな
ったはずの私たちの社会を、あらためてとら
え直す方法が必要だ。古い方法では、まわり
のアジア諸国が、日本より遅れた、貧しい社
会と決めていたが、それでよいだろうか。
 【6】私たちの祖先は、稲の栽培方法から
死後の火葬の仕方ま で、朝鮮半島、中国文
化圏、インド亜大陸(あたいりく)などの人
びとから、じつに多くの文物を学んできた。
 しかし、明治以降の日本人には、欧米文化
というお手本のほうが大切になってしまった
。【7】ヨーロッパやアメリカに追いつき、
追い越すことが何よりも大切だった。そして
、日本がアジアの一部分であるにもかかわら
ず、アジアは経済援助や技術指導の対象にす
ぎない、と思い込んでしまった。本当にそう
だろうか。【8】長い「脱亜入欧」の道程で
、多くの日本人は、あたかもアジアが日本の
外部であるかのごとくみなしてきた。
 一九六五年からほとんど毎年のように、日
本以外のアジア諸地域で暮らしたり、調査旅
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行を重ねてきた私には、「脱亜入欧」とは違
ったかたちで、時代の転換が見えてくる。【
9】二一世紀に向けて私∵たちの暮らしを再
建するためには、アジア民衆の経験から学ぶ
ことが、何よりも重要だと思われる。
 こう書くと、「インドネシア人やネパール
人の暮らしから、いったい何を学ぶことがで
きるのか」という疑問の声が、読者から聞こ
えてきそうである。【0】私たちが学ぶのは
、金儲けのためではない。出世するためでも
ない。みずからの生き方、地域社会の作り 
方、国際関係の結び方など、豊かな暮らしを
追求するうえで、アジアの同朋と手をつなぐ
ために学ぶのである。豊かさを求めてともに
生きる道は、お互いの自由を認めるところか
らはじめなければならない。国籍や性別など
による差別をなくし、平等を達成しなければ
ならない。
 しかし、それだけでは十分とはいえない。
お互いに、対等な人間として協力し、助けあ
う場を築くことが大切である。そのような場
をともに築く作業は、困難に満ちている。に
もかかわらず、この困難に取り組む以外に、
私たちが豊かになる道は、残されていない。
困難ではあるが、豊かな共生への道をいっし
ょに歩みたいものである。

(中村尚司()「人びとのアジア―民際学の
視座から―」より)