プラタナス2 の山 10 月 3 週 (5)
★世紀末の今日まで(感)   池新  
 【1】世紀末の今日まで、私たちが追い求めてきた豊かさとは、何だったのか。それは一〇〇年以上におよぶ、近代化、西洋化、そして工業化の道程であった。この前の大戦までは、軍国主義と植民地主義の道も加わっていた。【2】戦争に負けたあとは、会社中心主義や経済成長主義の延長線上に、豊かな暮らしを夢見てきた。
 欧米に負けまいという明治の指導者たちの夢は、実現した。経済大国になりたいという戦後の指導者たちの夢も、ほぼ達成された。
 【3】にもかかわらず、私たちの暮らしが、豊かになったとはいえない。どうやら、見る夢を間違えていたようである。古い夢を捨てて、新しい夢を見なければならない。
 【4】時代の転換期にさしかかった今日、私たちが求める豊かな暮らしの課題は、「循環性の永続」、「多様性の展開」および「関係性の創出」である。これが二一世紀の新しい夢である。循環の定常的な流れがあり、多様な暮らしがあり、人びとの繋がりが深まる社会を築くことである。
 【5】それゆえ、世界でもっとも豊かになったはずの私たちの社会を、あらためてとらえ直す方法が必要だ。古い方法では、まわりのアジア諸国が、日本より遅れた、貧しい社会と決めていたが、それでよいだろうか。
 【6】私たちの祖先は、稲の栽培方法から死後の火葬の仕方まで、朝鮮半島、中国文化圏、インド亜大陸(あたいりく)などの人びとから、じつに多くの文物を学んできた。
 しかし、明治以降の日本人には、欧米文化というお手本のほうが大切になってしまった。【7】ヨーロッパやアメリカに追いつき、追い越すことが何よりも大切だった。そして、日本がアジアの一部分であるにもかかわらず、アジアは経済援助や技術指導の対象にすぎない、と思い込んでしまった。本当にそうだろうか。【8】長い「脱亜入欧」の道程で、多くの日本人は、あたかもアジアが日本の外部であるかのごとくみなしてきた。
 一九六五年からほとんど毎年のように、日本以外のアジア諸地域で暮らしたり、調査旅行を重ねてきた私には、「脱亜入欧」とは違ったかたちで、時代の転換が見えてくる。【9】二一世紀に向けて私∵たちの暮らしを再建するためには、アジア民衆の経験から学ぶことが、何よりも重要だと思われる。
 こう書くと、「インドネシア人やネパール人の暮らしから、いったい何を学ぶことができるのか」という疑問の声が、読者から聞こえてきそうである。【0】私たちが学ぶのは、金儲けのためではない。出世するためでもない。みずからの生き方、地域社会の作り方、国際関係の結び方など、豊かな暮らしを追求するうえで、アジアの同朋と手をつなぐために学ぶのである。豊かさを求めてともに生きる道は、お互いの自由を認めるところからはじめなければならない。国籍や性別などによる差別をなくし、平等を達成しなければならない。
 しかし、それだけでは十分とはいえない。お互いに、対等な人間として協力し、助けあう場を築くことが大切である。そのような場をともに築く作業は、困難に満ちている。にもかかわらず、この困難に取り組む以外に、私たちが豊かになる道は、残されていない。困難ではあるが、豊かな共生への道をいっしょに歩みたいものである。

(中村尚司()「人びとのアジア―民際学の視座から―」より)