長文集  10月1週  ○地球上の生物は(感)  wapu2-10-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/08/23 18:58:46
 【1】地球上の生物は、どの生物も、遺伝
子的な仕組みは同じとされます。遺伝子的な
仕組みは同じでも、生命活動のやり方は、た
とえば植物と人間ではひどく異なります。実
は、どの植物も、また人間を含むどの動物も
、それぞれ独特のやり方をしているとも言え
ます。【2】人間も、コウモリと同様、地球
上で何か特別な存在というのではありません
が、その生命活動のやり方は、光ではなくて
音を使って外界を把握する独自のシステムを
発達させたコウモリの場合と同様、実はひど
く変わっていると言えるのではないでしょう
か。
 人間の場合の特殊性は、たとえば大脳皮質
の可塑性がそれを象徴的に示していると思い
ます。【3】人間の人間らしい、人間に特有
の活動を可能にする能力とか可能性というの
は、それがどういうものであるにせよ、大脳
皮質のような身体的部位に、実現される可能
性のすべてがあらかじめ書き込まれていると
いうようなことはないと考えられます。【4
】たとえば言語能力というものは、具体的に
は日本語を話したり理解したりする能力とし
て、あるいは英語を話したり理解したりする
能力として実現されますが、【5】最初から
そういうものとしてあったということではな
くて、最初は、言語能力一般として(という
よりは、言語能力以外の能力をも可能にする
もっと一般的な能力とか可能性として)あっ
たと考えられます。【6】そのような能力の
ことを、ここでは、第一次的な可能性と呼ぶ
ことにしたいと思います。それに対して、実
際に実現された日本語の能力のようなものは
、第二次的な能力ということになります。
 【7】遺伝子的な仕組みによって最初に実
現される、大脳皮質のような身体的組成とい
うものは、人間の場合、第一次的な可能性な
いし能力の、ある意味では、全体であると考
えられます。【8】私たちの生きている身体
そのものは、おおざっぱには、私たちの能力
とか可能性の総体であると言うことができる
と思います。他方、日本語とか英語というよ
うなものは、それ自体は文化的構築物であっ
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て、遺伝子的な仕組みの外にあるものです。
【9】それは、直接的に身体組成の延長上に
あるものとは言えないと思います。しかし、
私たちはそれを内部に取り込んで、身体的能
力の一部として実現するのだと思います。こ
の「外部にある文化的な構築物を、第二次的
な能力を実現する際に、内部に取り込む」と
いうやり方、これが人間の場合には決定的な
意味を持つのだと考えられます。
 【0】感情についても、言語及び言語以外
の文化的構築物(身体的動∵作とか表情)に
依存する部分があると言える分だけ、言語能
力の場合と同じように考えてよいと思われま
す。感情に関わる基本的な能力というものは
、遺伝子的な仕組みによってヒト(注ホモ・
サピエンス)としての私たちに備わっている
と言えます。しかし、そのような能力は、何
らか後天的に養育ないし教育されることによ
って文化的変容を遂げる(そのようにして、
外部にあるものを内部に取り込む)というこ
とがなければ、結局は、動物と同様の水準に
ある、原始的な「叫び声」とか「唸り声」と
して発現するような能力として止まり続ける
以外にないと思われます。
 さて、ここからが問題です。自然種として
のヒトという生き物 は、そういう意味では
、ある仕方でそのあり方そのものが変わって
別の存在になる、それが人間になるというこ
とである、そう考えるべきであるように思わ
れます。私たちの正体は、もちろん、ヒトな
のですが、何か「あり方の本質的な変化」と
でも言うべきものが「ヒト」と「人間」の間
にはあるということになるのだと思います。
この変化は、私たち現生人類の歴史上、そう
遠くない、ある時点で起こった出来事である
と思うのですが、上で言ったことからすれ 
ば、実はそれは現代社会に生きる私たち一人
ひとりに生じるものでもあると考えるべきで
しょう。人間の場合の特殊性というのは、私
たち一人ひとりの問題だからです。
(中略)
 言語能力は、直接的に身体組成の延長上に
あるものとして考えることはできないと言い
ましたが、ある意味では、身体的能力を拡張
することによって実現することができる一種
の実践的能力として考えることができるもの
だと思います。最も単純に言えば、私たちの
言語というのは、もともとは音声だからです
。もちろん、音声ですと言って、それですむ
ような、単純なものではありません。言語能
力は、自転車に乗るとか泳ぐといった能力が
形成される場合と同じように、間違いなく、
後天的に訓練を重ねて形成されることになる
実践的能力ですが、これがどのような能力か
ということを理論的に説明するとなると、ひ
どく難しいことになります。ここでは、言語
を使用する能力がどういうものかという話は
しませんが、それは実践的能力の一つである
ということをとにかく強調しておきたいと思
います。(略)
 私たちがヒトから人間になるプロセスとい
うのが、以上のような∵言語習得に関する考
え方をモデルとすることができるようなプロ
セスだとしますと、私たちがヒトから人間に
なる変容というのは、実に奇妙なものだとい
うことになります。あたかもそれは、進化の
プロセスを継続するために、身体的な組成を
決定するものである、身体内部の遺伝子的な
仕組みを利用するだけでは足りなくなって、
身体外部の、文化的な記憶の仕組みを利用し
なければならなくなったかのようです。人間
というのは、本当にそのような、奇妙な存在
なのでしょうか。

(岡部勉「合理的とはどういうことか」)