1. 【1】地球規模で自然
環境が危機に
瀕している現代にあって、地球
環境問題は、国境を
超えた
広範な地域で考えられねばならない問題である。その原因は個人や
企業、街や地域などの
環境負荷の総和から成り立っている。【2】つまりすべての自然
環境問題には人間が
関与しているのであって、その背景には
環境の保全と育成を
怠った人間優先の姿勢がうかがわれる。この反省のもとに、近年とくに地球の生態系に目を向けた取り組みが急速な勢いで高まりをみせている。
2. 【3】人間中心主義による
環境破壊を反省し、「他者」としての自然を修復し育てるための活動が、現在のエコ活動の本論となっている。そしてここでもまた人類総体として、グローバルな見地から
巨大な
貢献心が発動され、地球規模での自然
環境を「他者」とする種々な取り組みが進められている。【4】ところが現実に進行しているエコ活動のなかには、本来の
貢献活動から考えると意味を異にする内容があるような気がしてならない。
貢献心の視点からこれらの問題点を考えてみよう。
3. 【5】たとえば有限な資源である化石資源(石油や石炭)を守ることは持続的な経済にとって大切なことである。他方、
代替エネルギーとして開発が進められている原子力発電には、
環境上の深刻な問題が
取り沙汰されている。【6】またオゾン層を
破壊する原因として、フロンガスの
影響がクローズアップされ、さらに新たに開発された物質については、もっと強い温室効果が
囁かれている。
4. 【7】それだけではない。人口
爆発が
指摘されるアフリカや東南アジア地域の
食糧確保の問題は深刻だ。最大の
食糧輸出国である米国では世界の
食糧事情を改善させるという名目で、無制限な大規模農法を行った結果、地下水脈を
枯渇させて、
土壌の悪化に
拍車をかけてしまった。【8】たとえば米国中部にある広大なプレイリー地域の生態系に起きた異変は、大規模農法による
弊害とされ、
枯渇してしまった水脈を修復するには何万年という自然放置期間が必要とさ∵れるといわれている。
5. 【9】これらの例に見るように、人間が自然を利用して何らかの問題に取り組もうとして開発した方法が、次々と新たな自然
破壊をもたらすといった
悪循環が
指摘されているのである。
6. 【0】そこには人間中心の開発主義があった。つまり人間が必要とする活動によって自然
環境がダメージを受け、その結果、不都合なことが起きたから、今度はエコ活動を進めて、人間にとって都合のよいものに開発していこうとする考え方である。
7. さて、ここで見えてくるエコ活動には、私が言う
貢献心はまったく示されていない。なぜなら人間が「自然」のためにとの名目で、実は「自分」のために行う
行為に、他者である自然に向けての「
貢献」の意識は欠落しているからだ。その実態はむしろ「エコ」ではなく「エゴ」である。
8. たとえ手前勝手でも、自然
環境について考えたり、またみずみずしい自然を回復したいと願う自然な動機は
間違ってはいない。ただしそんな
純粋な動機でさえ、あまりにも特定の自然に集中していると、ふと気がつくと自分勝手なものに
陥って、自然を
破壊してしまう方向に向かってしまう。このような動きに私たちは
監視の目を
怠ってはならない。そのため現在のエコ活動にある発想をもう一度検証してみる必要性はないだろうか。
9. 現在、G7や
環境サミットなど、世界のトップが集まって提起されるグローバルな宣言についても、やはり「これからは人間中心の発想で問題を解決する」といった方向性が示されているが、私にはそう簡単には受け止めがたい。なぜなら、そこには
依然として「人間中心」といった発想に
含まれる「開発至上主義」的なニュアンスに歯止めがかけられてはいないように思われるからだ。実は、この「人間中心主義」こそ、人類を「開発至上主義」に向かわせたそのものの原因となったからである。
10.(
滝久雄「
貢献する気持ち」による)