長文集  9月2週  ★日本の伝統的な身体文化を(感)  wapi2-09-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】日本の伝統的な身体文化を一言でい
うならば、「腰肚(はら)文化」ということ
になるのではないかと私は考える。現在の八
〇代九〇代の人たちと話していると、腰や肚
(はら)を使った表現が数多く出てくる。
 【2】「腰を据える」「肚(はら)を決め
る」などは基本語彙である。「昔は肚(はら
)のできている人が仕事を任せられる人だっ
た」という言葉も九〇代の男性から聞いた。
ここで言われている腰や肚(はら)は、精神
的なこともふくんではいるが、その基盤には
腰や肚(はら)の身体感覚が実際にある。【
3】「腰を据える」や「肚(はら)を決める
」は、人間ならば生まれつき誰でもがもって
いるという感覚ではなく、文化によって身に
つけられる身体感覚である。腰と肚(はら)
の身体感覚が、数ある身体感覚の中でもとり
わけ強調されることによって、からだの「中
心感覚」が明確にされるのである。
 【4】「現在の日本で、カラダに何が起こ
っているか」という問いに一言で答えるなら
ば、「中心感覚」が失われているということ
になるのではないだろうか。自分の中にしっ
かりとした中心を感じることのできる人の割
合は、かつてよりも相当減っている。【5】
この感覚は、「芯が通っている」「芯が強い
」という表現のニュアンスを活かすならは、
「芯感覚」と呼ぶこともできよう。
 【6】腰や肚(はら)を強調していた時代
には、身体の中心感覚を常に意識することを
もとめられていた。子どものころから腰が入
っていなければ馬鹿にされるという慣習があ
り、しっかりした中心感覚をつくりあげるこ
とが明確な課題となっていた。【7】「腰抜
け」「へっぴり腰」「腰くだけ」「および腰
(ごし)」「逃げ腰」「弱腰」「肚(はら)
がない」「肚(はら)が決まらない」「腑抜
け」などは、身体に中心感覚あるいは中心軸
の感覚ができていないことに関する厳しい批
判の言葉である。【8】こうした表現は、日
常的に頻繁に用いられ、中心感覚を鍛える役
割を果たしていた。
 腰や肚(はら)ができているかどうかは、
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たんに身体の中心感覚だけではなく、心の揺
るがなさをも含んでいる。【9】当時の人び
とにとって∵は、心とからだは切り離すこと
のできないものであった。へっぴり腰であり
ながらも、揺るがないしっかりとした心をも
っているというようには考えられなかった。
【0】現実には、身心はそのように単純に重
ね合わせて考えることはできないものかもし
れないが、あえてそのように重ね合わせるこ
とによって、身心の教育、文化の伝承が同時
になされる効率のよさがあった。
 腰と肚(はら)が決まっていれば背骨はそ
の上に正しく据えられることになり、背筋は
自然と伸びる。腰の構えが崩れているときに
無理に背骨を垂直にしようとしても湾曲して
しまう。背骨が中心軸の感覚の基本であると
すれば、中心軸の感覚は腰の構えのつくり方
に大きくかかっている。
 「明治の人は一本筋が通っていた」という
ことがしばしば言われる。これは精神的な意
味では善悪の基準がはっきりとしていたとい
うことや強い意志の力を意味すると同時に、
からだの側面で言えば「腰を立てる」ことが
できていたことを意味する。「腰を立てる」
感覚は現在あまり強調されることがないが、
幕末・明治期の写真を見るとわかるように、
当時は基本的な技であった。
 ここで重要なのは、「身体感覚の技化」と
いうことである。身体感覚は、通常は何かの
刺激に対して反応する一回性のものだと考え
られがちである。しかし、身体感覚も文化的
なものであり、習慣によって形成されるもの
である。腰や肚(はら)に関する感覚はその
典型であり、生活の中で何度も訓練され、身
につけられた一つの技である。(中略)
 身体感覚は、気持ちよさを感じる方向へ身
体を解放するという文脈で語られることが多
い。この文脈では、身体感覚は訓練されたり
技にされるものではない。しかし、「身体感
覚を技化する」という考え方をすることによ
って一回一回の身体感覚に流れていくのでは
ない方向性が見えてくる。身体感覚が技とな
って身につくことで、よりたしかな充実感が
得られる可能性が生まれるのである。

(「身体感覚を取り戻す」(斎藤孝)より)