1. 【1】「世界の最新ニュースがリアルタイムであなたのパソコンのデスクトップに」という広告を見た。もう時代はそんなところまできたのか、と感心すると同時に、世界中の情報がリアルタイムで流れこんできたら、私の神経は、あっという間に限界を
超えて
発狂状態に入るのでは、と考えてしまった。
2. 【2】現代のデジタルネットワーク社会は、光速の伝達速度をめざして同時性を世界全体に
押し広げようとしている。情報が、
即時的に
遅延なく伝達されることこそ、電脳社会の見えざる目標なのかもしれない。【3】私たちの心性も知らず知らずのうちに、速度礼賛者に変容していく。
3. 時間のかかる手紙に代わって、
瞬時に反応する電子メールを使うこと。【4】書店に足を運ぶ代わりに、インターネット上の電子書店で、
検索と注文を
瞬時に
完了させてしまうこと。分厚い研究書や古典をじっくり読む代わりに、電子テキストでキーワード
検索しながら、必要な個所を
瞬時に表示させること。【5】思いついたとたんに、相手の
携帯電話に気軽に接続して話してしまうこと……。つまり総じて、私たちは、欲した時に
瞬時に世界とコンタクトをとり、行動していることになる。
4. 【6】ところで、情報といっても、その速度が情報の価値に大きくかかわるものと、そうではないものの二種類があることを忘れてはならない。
5. 【7】例えば、台風やそれに
伴う交通の混乱の情報は、タイムラグがなければないほど価値が高く、速度はこの種の情報にとっては本質的である。そして、昨日出された台風情報は、今日の我々には何の価値もない。
6. 【8】これに対して、文学や思想の古典的資料などは、伝達速度や時間的経過で価値が大きく変化することはない。
7. この両者はもちろん、従来は情報と知識という形で明確に区別されてきたものである。【9】しかし、あらゆるものが情報化され、ネットワーク上に
蓄積・開示されてしまう今日にあっては、すべて情報として処理され、この区別は
忘却のかなたに追いやられてしまったようだ。
8. 【0】私の個人的な体験にすぎないかもしれないが、自分との対話をじっくりと重ねながら学び味わったものは、いわば体得されたもの∵として、私に染み着いているが、早わかり方式で仕入れた情報は、私になんの
痕跡も残さず、あっという間に消え去ってしまう。三日で覚えた情報は、三日で消え去ってしまうのである。
9. 情報の速度こそが絶対の価値となっている現代においては私たちは成熟していく存在であるよりは、
瞬間的な反応マシン、つまり、情報が入りこんでは流れ出ていく一結節点にすぎない存在になっていくように感じられる。
10. ハイデガー(ドイツの
哲学者)は時間の本質を「時熟」、つまり「今」の連続としてではなく、時間性の成熟としてとらえた(『存在と時間』)。
逡巡すること、反省すること、あるいは、熟考、熟練などは、情報のインプットに対して、きわめて
膨大で
無駄に思われるタイムラグののちに、はじめてアウトプットが生じるたぐいの営みである。これらは
瞬間的で切れ切れの今の積み重ねではなく、むしろ時間の成熟によるものだ。
11. 時間がかかる、時間の
遅延があることを、すべてタイムラグとして否定的にとらえたり、スピーディーであることが、私たちの豊かさを保証すると考えるならば、それは根本的な
錯誤であるように思われる。
無駄な時間を省いて、残った時間で豊かな生活を、と
喧伝されながら、その残った時間もすべて
無駄な時間を省くという心性に
汚染され、「時熟」を味わえないからだ。結局、私たちの生活はテンポ全体があわただしく加速しているだけなのである。
12. 私たちが便利さや速度の
幻惑には
徹底的に弱い存在であること、しかし、それにもかかわらず、それに身をゆだねることは、私たちを
徹底的にやせ細った
刹那的存在にしてしまうこと。このことへの自覚は、今日においては決定的に重要であろう。
13. 現代の情報・消費・社会システム全体が、便利さと速さを「豊かさ」と
称し、それに向けて
邁進せざるをえない以上、私たちは、常に情報反応マシン、消費マシンに変形されつつある存在である。だとすれば、「時熟」や成熟の
契機は、外から
与えられることを求めるのではなく、私たち自身の内側に自覚的に求めていくほかはないのかもしれない。
14.(
黒崎政男「電脳社会で自己を保つ」による)