長文集  8月3週  ★世界の最新ニュースが(感)  wapi2-08-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「世界の最新ニュースがリアルタイ
ムであなたのパソコンのデスクトップに」と
いう広告を見た。もう時代はそんなところま
できたのか、と感心すると同時に、世界中の
情報がリアルタイムで流れこんできたら、私
の神経は、あっという間に限界を超えて発狂
状態に入るのでは、と考えてしまった。
 【2】現代のデジタルネットワーク社会は
、光速の伝達速度をめざして同時性を世界全
体に押し広げようとしている。情報が、即時
的に遅延なく伝達されることこそ、電脳社会
の見えざる目標なのかもしれない。【3】私
たちの心性も知らず知らずのうちに、速度礼
賛者に変容していく。
 時間のかかる手紙に代わって、瞬時に反応
する電子メールを使うこと。【4】書店に足
を運ぶ代わりに、インターネット上の電子書
店で、検索と注文を瞬時に完了させてしまう
こと。分厚い研究書や古典をじっくり読む代
わりに、電子テキストでキーワード検索しな
がら、必要な個所を瞬時に表示させること。
【5】思いついたとたんに、相手の携帯電話
に気軽に接続して話してしまうこと……。つ
まり総じて、私たちは、欲した時に瞬時に世
界とコンタクトをと り、行動していること
になる。
 【6】ところで、情報といっても、その速
度が情報の価値に大きくかかわるものと、そ
うではないものの二種類があることを忘れて
はならない。
 【7】例えば、台風やそれに伴う交通の混
乱の情報は、タイムラグがなければないほど
価値が高く、速度はこの種の情報にとっては
本質的である。そして、昨日出された台風情
報は、今日の我々には何の価値もない。
 【8】これに対して、文学や思想の古典的
資料などは、伝達速度や時間的経過で価値が
大きく変化することはない。
 この両者はもちろん、従来は情報と知識と
いう形で明確に区別されてきたものである。
【9】しかし、あらゆるものが情報化され、
ネットワーク上に蓄積・開示されてしまう今
日にあっては、すべて情報として処理され、
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この区別は忘却のかなたに追いやられてしま
ったようだ。
 【0】私の個人的な体験にすぎないかもし
れないが、自分との対話をじっくりと重ねな
がら学び味わったものは、いわば体得された
もの∵として、私に染み着いているが、早わ
かり方式で仕入れた情報は、私になんの痕跡
も残さず、あっという間に消え去ってしま 
う。三日で覚えた情報は、三日で消え去って
しまうのである。
 情報の速度こそが絶対の価値となっている
現代においては私たちは成熟していく存在で
あるよりは、瞬間的な反応マシン、つまり、
情報が入りこんでは流れ出ていく一結節点に
すぎない存在になっていくように感じられる

 ハイデガー(ドイツの哲学者)は時間の本
質を「時熟」、つまり「今」の連続としてで
はなく、時間性の成熟としてとらえた(『存
在と時間』)。逡巡すること、反省すること
、あるいは、熟考、熟練などは、情報のイン
プットに対して、きわめて膨大で無駄に思わ
れるタイムラグののちに、はじめてアウトプ
ットが生じるたぐいの営みである。これらは
瞬間的で切れ切れの今の積み重ねではなく、
むしろ時間の成熟によるものだ。
 時間がかかる、時間の遅延があることを、
すべてタイムラグとして否定的にとらえたり
、スピーディーであることが、私たちの豊か
さを保証すると考えるならば、それは根本的
な錯誤であるように思われる。無駄な時間を
省いて、残った時間で豊かな生活を、と喧伝
されながら、その残った時間もすべて無駄な
時間を省くという心性に汚染され、「時熟」
を味わえないからだ。結局、私たちの生活は
テンポ全体があわただしく加速しているだけ
なのである。
 私たちが便利さや速度の幻惑には徹底的に
弱い存在であること、しかし、それにもかか
わらず、それに身をゆだねることは、私たち
を徹底的にやせ細った刹那的存在にしてしま
うこと。このことへの自覚は、今日において
は決定的に重要であろう。
 現代の情報・消費・社会システム全体が、
便利さと速さを「豊かさ」と称し、それに向
けて邁進せざるをえない以上、私たちは、常
に情報反応マシン、消費マシンに変形されつ
つある存在である。だとすれば、「時熟」や
成熟の契機は、外から与えられることを求め
るのではなく、私たち自身の内側に自覚的に
求めていくほかはないのかもしれない。
(黒崎政男「電脳社会で自己を保つ」による