ピラカンサ2 の山 8 月 1 週 (5)
★ウォン・カーウァイ監督の(感)   池新  
 【1】ウォン・カーウァイ監督の新作「花様年華()」の終わりにアンコール・ワットの遺跡の壁に開いた小さな穴に向かって、主人公は何事かをささやく。【2】昔、大きな秘密を抱く者は山で大木を見つけ、幹に掘った穴に秘密をささやくんだ。穴は土で埋めて秘密が漏れないように永遠に封じこめる。【3】映画の中でトニー・レオンの主人公が友人にこのように語ることばそのまま、六〇年代香港の片隅で秘やかに咲いた恋はアンコールの壁の中に永遠に封じ込められる。カメラが引いてゆくと、古代遺跡の回廊が、その神々の像が見下ろす高い天井が、圧倒的な美しさで迫ってくる。【4】全身がしびれるような感動を覚えながら、突如として、沈黙の中にある古代の遺跡がいまなお現代の私たちにとって深い意味を有することを感じる。【5】幾千年に亘って人々の幸せと不幸、喜びと苦しみ、その秘密をいだいて沈黙の中に存在してきたものの尊さ、これこそ古い文化遺産の限りのない価値なのだ、と。
 【6】アフガニスタンでタリバーンがバーミヤンの大仏を破壊したことを暴挙と感じるのは、何よりも古代の大きな仏像の足もとにひざまずいて、いつの日か自分も祈念したいという深い思いがかなわなくなったからだ。【7】この騒がしい世の中にあって、たとえ一時なりと、遺跡が秘めてきたものを沈黙の中に聞きとろうとする。それほどの慰めが他にあるだろうか。
 【8】人類の育んだ文化には、どのように些細なものであれ、人間の心の叫びが封じ込められている。「文化の多様性」をいま尊重せよ、と願うのはそのためだ。
 【9】すでに大方の記憶からは失われたことかと思うが、昨年の七月に開かれた沖縄のサミット会議で、初めて文化が討議の対象となり、「文化の多様性」の擁護が決議文に盛り込まれた。【0】これは注目に値する画期的な出来事であった。国連の教育・科学・文化機関∵であるユネスコも新世紀に向けて「文化の多様性」をその最大目標の一つに掲げている。当事者の思惑はどうあれ、これらを空文にしてはならないと思う。
 今日、「文化の多様性」への脅威は二つの方向から来る。一つはタリバーンの古代大仏破壊のような宗教的過激主義による脅威である。これには世界各地にみられる異文化拒否と他者排斥を声高に主張する自文化・自民族中心主義や全体主義的イデオロギーの激しい動きなどが含まれる。こうした文化と人間の破壊は、それが地球のどこで行われようと、真のグローバルな問題として受けとめる必要がある。仏像破壊は日本の近代史とも無縁ではない。中国の文化大革命のような例もある。
 いま一つの脅威は、グローバリゼーションのかけ声の下に急速に世界を席巻しつつある「ファストフード化」の波である。これは単に食品のことだけでなく、文化の簡易化・単純化と画一化のことを指す。グローバル文化なるいい方で世界に広がってきた文化現象はコカ・コーラ化、ディズニー現象、マクドナルド化などと称されながら、Tシャツ、ジーンズ、スニーカーに多機能携帯電話にTVゲームとアニメといったポピュラー文化複合としてアメリカを発信源としている。しかるに、こうした生活文化は世界各地でローカルなものに溶け込みローカル文化を触発し、日本発のファストフードの世界への広がりを生じさせた。回転寿司(ずし)、ラーメン、牛丼(ぎゅうどん)にポケモンはグローバルなファストフード文化の一部となった。(中略)
 二一世紀というのに、一方で偏狭な過激主義、他方に非人間的な文化画一主義。その先にあるのは限りなく深い虚無の世界である。

(青木 保の文による)