ピラカンサ2 の山 7 月 2 週 (5)
★人間が、自分の行っている活動から(感)   池新  
 【1】人間が自分の行っている活動から充実感を得たいと考えること、あるいは自分が生きていることに「張り合い」を感じたいと思うことは、きわめて自然で普遍的なことだと言って良いだろう。【2】親が子どもの順調な成長ぶりを見て、自分の養育活動に充実感を持つことも、会社員が自分の仕事の結果によって会社の業績が上がったことを喜ぶことも、ともにいつの時代にも見られる「生きがいの探究」と考えて良いはずだ。【3】だが、にもかかわらず、「生きがい」という言葉の意味合いは時代によって微妙に変化してきたし、その微妙な違いこそが重要なのではないか。
 【4】たとえば、現代においてボランティア活動を行っている人々と、かつて学生運動を行っていた人々とでは、同じように「生きがい」を感じていたとしても、その「生きがい」を求める姿勢それ自体が違っているように私には思われる。【5】だから私は現代の「生きがいの探究」の意味について、こうした時代による意味の違いにこだわって考えることにしたい。
 【6】いま例に出したような、学生運動をしていたような戦後日本社会の青年たちは、「生きがい」を自分の衣食住に関わる私生活や、それを維持するための稼ぎ仕事ではなく、今よりももっと理想的な社会を作りだすための公共的な活動に求めていた。【7】そうした活動に自己犠牲的に没入することによって、自分自身の社会的・実存的な存在意義を高めること。そうした理想主義的で前向きな行動が、彼らの感じていた「生きがい」だったと思われる。
 【8】そして実は、そうした理想を志向する「生きがい」感は、彼らが軽蔑していたような、同時代のごく平凡な日本人にも共有されていた感覚だったと言える。【9】なぜなら彼らもまた、自分の生活状態に満足することなく、今よりももっと豊かな生活を「理想」として目指すことに「生きがい」を感じていたからだ。【0】だからこそ、彼らはあくせくと働いてお金を稼ぎ、黙々と辛い家事労働をこなすことができたのだ。つまりいずれにせよ、理想実現のために行動することが一九六〇年代までの日本社会の「生きがい」だったと思われる。
 しかし、一九七〇年代から八〇年代にかけて、このような「生き∵がい」感は大きな変貌を遂げた。もはや人々は、未来の理想的状況のために現在を犠牲にして活動することには「生きがい」を感じなくなったのである。今ここで得られる快楽を犠牲にして、やってこない理想の未来のために馬車馬のように走り続けることの一体どこに充実感があるのだろう。それよりも、欲望のままにブランド物の洋服を着て、豪華なレストランでの食事を楽しんだ方が、よほど自分の人生をその瞬間において充実させることになるのではないか。そう人々は考えはじめた。つまり彼らは、その時その時の「現在」における即時的な快楽の充足に「生きがい」を感じ出したと言えよう。(中略)
 そして、一九九〇年代以降、不況となって消費生活が縮減され、阪神大震災によって豊かな消費生活の底の浅さが露呈されてしまうと、人々は再び「生きがいの探究」に向かい始めたように見える。たとえばボランティア活動の普及は、人々が単なる私的欲望の充足だけでなく、自己犠牲的な公共的活動に「生きがい」を見いだしている証拠だと言えよう。
 しかしやはり、そこにはかつての「生きがいの探究」とは微妙な違いがあるように私には思える。つまり現在の人々は、他者のために行動することに喜びを見いだしているというよりも、他者のためのボランティアをまるで「自分のため」に行っているように見えてしまうのだ(その真面目さを疑うわけではないが)。(中略)
 つまり「生きがいの探究」はいまや、未来の自分や社会を作りだすような理想志向的な活動ではなく、現在の日本社会の奇妙な閉塞感を反映した、後ろ向きの活動になってしまっている。だから私たちは、「生きがいの探究」という美化された物語に簡単に乗るよりも、それを疑うところから「自分探し」の自閉空間を切り裂く可能性を見つけるべきだろう。

(長谷正人「生きがいの探究」から)