ピラカンサ の山 8 月 2 週 (5)
★貧困な層の定義として(感)   池新  
 【1】貧困な層の定義として世界銀行等でふつうに使われるのは、一日あたりの生活費が一ドルという水準である。一九九〇年には、この貧困ライン以下に一二億人が存在していたという。【2】世界銀行はこのほかに、極貧層として、年間所得二七五ドル(一日あたり七五セント)以下というカテゴリーをつくった。このカテゴリーにふくまれる人びとは、一九九〇年で六億三〇〇〇万人であり、発展途上国の人口の一八%にのぼるとされる。貧困のこのようなコンセプトは正しいだろうか?
 正確にいえば、現実の構造を的確に認識する用具として、適切な定義の仕方といえるだろうか? 同じような資料は多いので、たまたま最近目にふれたありふれた事例の一つをとりあげてみよう。【3】中国南部の少数部族ヤオ族の族支、巴馬瑶族(ばまやおぞく)の人たちの暮らす村々は、一〇〇歳をこえて元気な人たちの多い地域として知られるが、調査の対象となった一〇五歳の男性は、長生きの原因は「悩みがないこと」だろうと言っている。【4】県の「老齢委員会」は長寿の原因として「1、温暖な気侯と汚染のない空気、2、食物が自然のもので、低脂肪、高栄養価であること、3、長年の畑仕事で体がきたえられ、飲酒、喫煙率が少ない」ことを挙げている(朝日新聞一九九五年九月四日記事)。【5】「高栄養価」という食物は、「トウモロコシの粉と米のおかゆ、野草やサツマイモ、カボチャの茎、大豆などのスープやいためもの。肉は三日に一回の割合。」というものである。【6】長寿が幸福とは限らないが、九〇歳代くらいまでは元気で「悩みがない」ということは、よい人生だろうと想像する方が素直だろう。【7】この巴馬瑶族(ばまやおぞく)の地域の一人あたり平均年収は四八〇〇円(一九九五年)で、一日あたり〇・一三ドルくらいである。
 アメリカの原住民のいくつかの社会の中にも、それぞれにちがったかたちの、静かで美しく豊かな日々があった。【8】彼らが住み、あるいは自由に移動していた自然の空間から切り離され、共同体を解体された時に、彼らは新しく不幸となり貧困となった。経済学の測定する「所得」の量は、このとき以前よりは多くなったはずである。【9】貧困は、金銭をもたないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭をもたないことにある。貨幣から∵の疎外の以前に、貨幣への疎外がある。この二重の疎外が、貧困の概念である。
 【0】貨幣を媒介としてしか豊かさを手に入れることのできない生活の形式の中に人びとが投げ込まれる時、つまり人びとの生がその中に根を下ろしてきた自然を解体し、共同体を解体し、あるいは自然から引き離され、共同体から引き離される時、貨幣が人びとと自然の果実や他者の仕事の成果とを媒介する唯一の方法となり、「所得」が人びとの豊かさと貧困、幸福と不幸の尺度として立ち現れる。(豊かさと貧困の近似的な尺度として存立し、幸福と不幸の一つの基礎的な次元として成立する、というべきだろう。)(中略)
 一日に一ドル以下しか所得のない人が世界中に一二億人もいて、七五セント以下の「極貧層」さえ六億三〇〇〇万人もいるというような言説は、善い意図からされることが多いし、当面はよりよい政策の方に力を与えることもできるが、原理的には誤っているし、長期的には不幸を増大するような、開発主義的な政策を基礎づけてしまうことになるだろう。巴馬瑶族(ばまやおぞく)の人たちもアマゾンの多くの原住民も、今日この「一日一ドル以下」の所得しかない一二億人に入っているが、彼らの「所得」を「一ドル以上」とするにちがいない政策によって、幸福のいくつもの次元を失い、不幸を増大する可能性の方が、現実にははるかに大きい。(視える幸福とひきかえに視えない幸福の次元を失い、測定のできる幸福とひきかえに測定のできない幸福の諸次元を失う可能性の方が大きい。)「自分たちの食べるもの」を作ることを禁止されたあのドミニカの農民たちは、食べるものを市場で買うほかに生きられないから、どこかの大量消費市場のための商品作物を作って金銭を得るほかはなく、「所得」は増大せざるをえない。この市場から、以前よりも貧しい食物しか手に入れることができなくなっても、彼らは統計上、所得を向上したことになる。一日一ドルという「貧困」のラインから「救い上げられた」人口の統計のうちに入るかもしれないのである。このような「貧困」の定義は、まちがっているはずである。

(見田宗介()著『現代社会の理論』より)