長文集  8月1週  ★バルカンの歴史は(感)  wapi-08-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】バルカンの歴史は宿命であるのだと
、かの地のナショナリストは言う。たとえば
、クロアチア人ならこう説明するだろう。バ
ルカンで流血が繰り返されるそもそもの原因
は、自分たちクロアチア人が本質的にカトリ
ックで、【2】もとはといえばオーストリア
=ハンガリー帝国の統治を受けたヨーロッパ
人であるのに対し、セルビア人は本質的に東
方正教徒であって、もとをただせばビザンチ
ンのスラヴ人しかもトルコ人の残虐性と怠惰
をも少しく受け継ぐ連中であるからだと。【
3】クロアチアとセルビアの国境をなすサヴ
ァ川とドナウ川は、オーストリア=ハンガリ
ー帝国とオスマン帝国のかつての境界線であ
る。
 【4】この歴史における断層があまりに強
調されすぎると、セルビア対クロアチアの抗
争は必然の運命として片づけられることにも
なる。だがバルカン地域の問題は、過去が現
在を決定するというよりは、現在が過去を操
っていることにあると言えよう。
 【5】かつてフロイトは、二人種間の違い
が実際には小さければ小さいほど、その差は
想像のなかで不気味に増幅されていくと主張
して、この現象を「微差のナルシシズム」と
呼んだ。【6】だとすれば、その当然の結果
として、彼らは相手との比較においてしか自
己確認できなくなるはずである。自分はクロ
アチア人だ、セルビア人とは違う。自分はセ
ルビア人だ、クロアチア人とは違う、といっ
た具合に。【7】憎悪する敵なしには、信仰
にも似た鮮明な民族意識は芽生えようがない
のである。
 クロアチアでは、フラニョ・トゥジマン率
いるHDZ(クロアチア民主共同派)がみず
からを、バイエルン・キリスト教民主党を手
本とした西欧型政治団体と名乗っているが、
【8】現実には、トゥジマン政権はセルビア
のスロボダン・ミロシェヴィッチ政権と似通
っており、両者とも、西欧型議会政治とは似
ても似つかぬものである。いずれも、つい先
頃まで共産党一党支配の国だった。【9】現
在、民主的であるというなら、それは、リー
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ダーたちが庶民感情を操るすべに長けている
という意味においてでしかない。部外者はみ
な、セルビア人とクロアチア人の違いにでは
なく、ほとんど見分けのつかな∵いことに驚
かされる。【0】どちらも何百語かの違いは
あれ同じ言語を話し、何世紀にもわたって同
じような村落生活を営んできた。片やカトリ
ック、片や正教だが、都市化工業化によって
宗教上の特徴は目立たなくなってきた。そこ
で、双方の民族主義派の政治家たちは、「微
差のナルシシズム」を利用し、とんでもない
作り話をこしらえた。自分たちはなんの非も
ない犠牲者であり、相手側は民族虐殺の殺人
鬼(き)だというのである。クロアチア人は
ひとり残らず暗殺者ウスタシャに、セルビア
人はみな、けだものチェトニクにされてしま
った。こうした、言葉による事前の煽り立て
が、共生関係を切り崩し、やがて現出する殺
戮世界の下地となっていったのだ。
 それにしても不可解なのは、このような民
族主義者のこしらえ話がなぜ根づいたか、な
ぜ悲劇にまで発展したかという点だ。でっち
あげだと、民衆はちゃんと知っているのだか
ら。クロアチア人がみなウスタシャというわ
けではない、セルビア人がみなチェトニクと
いうわけではない、と承知しているのである
。たとえ、やつらはみんなウスタシャさ、チ
ェトニクさ、と口にするときですら、真実で
はないとわかって言っている。紛争勃発直前
まで、両者は、隣人同士、友人同士、そして
伴侶であったのだ。べつべつの惑星に住み分
けていたわけではない。この点は、何度繰り
返しても強調しすぎることはない。(中略)
現在の紛争が一九四一年から四五年の内戦を
引きずるものであることはたしかだが、それ
だけではすべてを説明しきれない。先の内戦
から今度の紛争勃発まで五十年近く続いた穏
やかな民族共生時代、あれはなんであったの
かの事訳が定かでな い。単なる休戦ではな
かったはずだ。民族共生の平和はなぜ崩れた
か――不倶戴天の敵同士ですら、この問いに
は、いまもなお、満足には答えられずにいる
のである。