ピラカンサ の山 8 月 1 週 (5)
★バルカンの歴史は(感)   池新  
 【1】バルカンの歴史は宿命であるのだと、かの地のナショナリストは言う。たとえば、クロアチア人ならこう説明するだろう。バルカンで流血が繰り返されるそもそもの原因は、自分たちクロアチア人が本質的にカトリックで、【2】もとはといえばオーストリア=ハンガリー帝国の統治を受けたヨーロッパ人であるのに対し、セルビア人は本質的に東方正教徒であって、もとをただせばビザンチンのスラヴ人しかもトルコ人の残虐性と怠惰をも少しく受け継ぐ連中であるからだと。【3】クロアチアとセルビアの国境をなすサヴァ川とドナウ川は、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国のかつての境界線である。
 【4】この歴史における断層があまりに強調されすぎると、セルビア対クロアチアの抗争は必然の運命として片づけられることにもなる。だがバルカン地域の問題は、過去が現在を決定するというよりは、現在が過去を操っていることにあると言えよう。
 【5】かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。【6】だとすれば、その当然の結果として、彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなるはずである。自分はクロアチア人だ、セルビア人とは違う。自分はセルビア人だ、クロアチア人とは違う、といった具合に。【7】憎悪する敵なしには、信仰にも似た鮮明な民族意識は芽生えようがないのである。
 クロアチアでは、フラニョ・トゥジマン率いるHDZ(クロアチア民主共同派)がみずからを、バイエルン・キリスト教民主党を手本とした西欧型政治団体と名乗っているが、【8】現実には、トゥジマン政権はセルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ政権と似通っており、両者とも、西欧型議会政治とは似ても似つかぬものである。いずれも、つい先頃まで共産党一党支配の国だった。【9】現在、民主的であるというなら、それは、リーダーたちが庶民感情を操るすべに長けているという意味においてでしかない。部外者はみな、セルビア人とクロアチア人の違いにではなく、ほとんど見分けのつかな∵いことに驚かされる。【0】どちらも何百語かの違いはあれ同じ言語を話し、何世紀にもわたって同じような村落生活を営んできた。片やカトリック、片や正教だが、都市化工業化によって宗教上の特徴は目立たなくなってきた。そこで、双方の民族主義派の政治家たちは、「微差のナルシシズム」を利用し、とんでもない作り話をこしらえた。自分たちはなんの非もない犠牲者であり、相手側は民族虐殺の殺人鬼(き)だというのである。クロアチア人はひとり残らず暗殺者ウスタシャに、セルビア人はみな、けだものチェトニクにされてしまった。こうした、言葉による事前の煽り立てが、共生関係を切り崩し、やがて現出する殺戮世界の下地となっていったのだ。
 それにしても不可解なのは、このような民族主義者のこしらえ話がなぜ根づいたか、なぜ悲劇にまで発展したかという点だ。でっちあげだと、民衆はちゃんと知っているのだから。クロアチア人がみなウスタシャというわけではない、セルビア人がみなチェトニクというわけではない、と承知しているのである。たとえ、やつらはみんなウスタシャさ、チェトニクさ、と口にするときですら、真実ではないとわかって言っている。紛争勃発直前まで、両者は、隣人同士、友人同士、そして伴侶であったのだ。べつべつの惑星に住み分けていたわけではない。この点は、何度繰り返しても強調しすぎることはない。(中略)現在の紛争が一九四一年から四五年の内戦を引きずるものであることはたしかだが、それだけではすべてを説明しきれない。先の内戦から今度の紛争勃発まで五十年近く続いた穏やかな民族共生時代、あれはなんであったのかの事訳が定かでない。単なる休戦ではなかったはずだ。民族共生の平和はなぜ崩れたか――不倶戴天の敵同士ですら、この問いには、いまもなお、満足には答えられずにいるのである。