ペンペングサ の山 2 月 2 週
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○自由な題名
○雪や氷、なわとび

○From the outset 英文のみのページ(翻訳用)
From the outset, our civilisation has been structured in large part around the concept of work. But now, for the first time in history, human labour is being systematically eliminated from the economic process, and, in the coming century, employment as we have come to know it is likely to disappear. The introduction of a new generation of advanced information and communication technologies, together with new forms of business organisation and management, is forcing millions of workers into temporary jobs and unemployment lines. While unemployment is still relatively low, it can be expected to climb continuously over the coming decades as the global economy fully enters the Information Age. We are ill the early stages of a long-term shift from mass labour to highly skilled "elite labour", accompanied by increasing automation in the production of goods and the delivery of services. Factories and companies without a workforce are beginning to appear. These developments, however, do not necessarily mean a dark future. The gains from this new technological revolution could be shared broadly among all the people, by greatly reducing the working week and creating new opportunities to work on socially useful projects outside the market economy.

★私たちは旅、未知と偶然の要素を(感)
 【1】私たちは旅、未知と偶然の要素を多く含んだ旅に出るとき、どこかへ行きたいとか、なにかを調べたいとかなどといった、なんらかの意味で目的をもった自分の意思とは別に、一種のあやしい胸のときめきを感じる。【2】それは一抹の不安をまじえた心の華やぎであり、それによって旅への出立というものに、独特の感情の色づけがなされる。「いい日旅立ち」などという国鉄の広告もあったが――多分これは「思い立ったが吉日」という昔からある諺にヒントをえたものであろう――【3】旅への出立がすぐれて演劇性あるいは祝祭性をもちうるのは、そのような感情の色づけのためであろう。旅立ちの場所である駅やプラット・フォームや空港が現代生活のなかでは珍しく濃密な意味場を形づくり、そこに毎日多くの小さな――ときには大きな――ドラマや祝祭が見られるのは、誰でもよく知っているところだ。
 【4】旅立ちに際したときのこのような心の不思議な在り様を巧みに捉えて、私たちの先人の一人は、次のように書いた。「春立てる霞の空に、白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、云々」(松尾芭蕉『おくのほそ道』)【5】あまりにも有名な文章であるが、この「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて」(そぞろ神が物=霊にとり憑いたためもの狂わしくなり、道祖神にさそわれて)ということばには、旅が日常性をこえた異次元への飛翔ともいうべき側面をもっていることがよく示されている。(中略)
 【6】日常の惰性的な生活のなかで閉ざされた私たちの心を、旅は開かれた、予感にみちたものにする。と同時にそれだけ、旅において私たちは行くさきざきの不安にも敏感になる。その点についても芭蕉は見落していない。【7】「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。行春や鳥啼き魚の目は泪、云々。」ことで「幻のちまた」とは「俗ニ夢ノ世ト云(いふ)ガ如ク、人生ノハカナキヲ喩(たと)フ」と注釈本(『奥細道管菰抄(おくのほそみちすがごもしょう)』)にある。∵【8】ふだんの安穏無事な生活のなかでよりも、ひとは旅に際してわが身を見つめるようになるのである。いまでは旅に際しての別離も昔ほど深刻なものではなくなったけれど、それでもそこにはひそかに私たちを脅かすものがある。
 【9】旅は私たちの心を開かれた予感にみちたものにする、といった。しかしそれは、旅に出かけるとき、旅立ちに際してだけのことではなくて、およそ旅をしているかぎり、いつでもいえることである。【0】これは誰でも経験していることだけれど、旅先で見たものや聞いたものは、しばしば私たちに新鮮なおどろきを与え、旅先で出会った出来事はしばしば私たちにつよい感動を与える。旅に出るとひとは誰でも「芸術家」になり「詩人」になるといわれるのも、そのことを指している。
 この場合「芸術家」になり「詩人」になるというのは、なにか特別な力を新しく手に入れることではないだろう。それはむしろ、人間がもともと持っているいきいきとした感受性をとりもどすことである。ふだんの生活、日常生活の惰性から自己を解き放つことなのである。「日々新たなり」という人間的生の在り様は、日常生活のなかでもむろん言えることであり、本来私たちはそういうものとして毎日を迎えなければならないのだが、実際にはそれはたいへん難しい。
 ところが旅では――未知と偶然の要素を多く含んだ旅では――日々は私たちにとって新たならざるをえない。そして日々新たであるなかで、よりつよく私たちの好奇心は突き動かされ、働くようになる。ふつう「好奇心」などというと、あまりいい意味にとられない場合が多い。なにか面白いことはないかと知らなくてもいいことまでむやみに穿鑿する心、あるいはもの好きといったような意味に解されている。けれども好奇心とは、私たち人間の知的活動の根源をなす情熱、つまり知的情熱にほかならない。
 好奇心というとあまりいい意味にとられない、といった。しかし実はそれ以前の、情熱(情念、パトス)そのものが、これまで一般に永い間、はしたないものとされてきたという事情がある。情熱は∵人間の心の平静を乱し、人間を真理から遠ざけるものだとされてきた。しかしそのような見方はきわめて一面的なものでしかない。『百科全書』の編者として知られるディドロ(『哲学的思索』)が、その点でたいへん適切なことを言っていたのを思い出す。
 すなわち、ひとは情念(情熱)の悪い面ばかりを見て、むやみに情念を排斥する。しかし情念は、一方であらゆる苦悩の源であるだけでなく、同時に他方では、あらゆるよろこびの源泉でもある。偉大な情念によってはじめて、人間の魂は偉大なものごとに到達しうるのだ。これに反して控え目な感情は凡庸な人間をつくり、弱々しい感情はもっともすぐれた人間をも台なしにしてしまう。
(中略)
 控え目な感情は凡庸な人間をつくり、ひとは小心翼々としていると創造的でありえなくなる。これは行きすぎた抑制や禁欲的態度がおちいりやすい陥穽を示している重要な指摘である。いうまでもなくそれは、詩・絵画・音楽といった狭い意味での芸術にかかわるだけではなく、もっと広い人間の知的活動や精神的活動にもかかわっている。だから、たとえどんな小さなことにせよ、日に日に発見や創造のよろこびをもって生きていくためには、通常考えられているより以上に、知的情熱としての好奇心をいきいきと保っておかなければならないのである。ところで、知的情熱としての好奇心とは、とくに、私たちが世界や自然やものごとに向けるつよい関心のことである。そして、知識よりもなによりも関心(インタレスト)こそがあらゆる文化や学問の原動力であると言えそうだ。関心こそが知を拓くのである。

(中村雄二郎他『知の旅への誘い』による)