長文集  6月3週  ★要するに、一九八〇年代に(感)  wa-06-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】要するに、一九八〇年代に入って一
挙に噴出したコンピュータ・コミュニケーシ
ョン技術の発展と普及は、連続的に進行して
いた技術が人々の欲求変化によって方向を変
え、予想外の分野においても爆発的に広まり
だした現象なのだ。【2】そしてそれを生み
出したのは、七〇年代に浸透した資源有限感
によって生じた人々の欲求の変化、つまり美
意識と倫理観の変化だといえる。
 【3】この点において、目下進行中のコン
ピュータ・コミュニケーションを中心とする
技術進歩、一九世紀末から二〇世紀の前半に
かけて操り返された内燃機関や電気技術、化
学工業の発達などと は、全く違った社会的
影響を持っている。【4】つまり、産業革命
以来の技術革新は、物財の量的増大を求める
欲求にそって進んだものであり、主として物
財供給量の増大と加工度の向上に役立った。
ところが、今進行している技術革新は、主と
して多様化、情報化による「知価」部分の増
大と省資源化による物財消費の削減を目指す
ものだ。【5】いいかえれば、創造的知価の
増加にこそ役立つ種類のものなのである。
 この違いは、きわめて重要であり、本質的
でもある。産業革命以来、技術革新は、内燃
機関も電気技術も化学工業も、それが増大さ
せようとした物財生産はみな、数値化が可能
なものだった。【6】お米や鉄などの素材は
勿論、自動車やテレビ、建造物といった高度
加工品でもそれぞれの加工度を換算して統一
された単位(もっぱら価格換算された)で計
上することが、少なくとも理論的には可能で
ある。従って、国民総生産(GNP)といっ
た概念も成り立った し、それを時系列的に
、あるいは国際的に比較することも可能であ
った。
 【7】しかし、いま進んでいる技術革新が
増加させようとしている「知価」創造は、現
実的にも理論的にも数値化不可能な性格のも
のである。デザインの善し悪し、イメージ価
値の大小、技術の高 低、生活の快適さや都
市空間のアメニティといったものは、本質的
に主観的か、少なくとも相対的である。【8
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】これらの価値や価格が経済統計に計上され
るのは、人々がそれぞれの主観に応じて対価
を支払った結果の集計に過ぎない。従って、
その価格が、それを生産するのに投入された
費用と見合うという保証は、長期的に考えて
も全く存∵在しない。
 【9】一人のデザイナーがヒット商品を創
造することもある代わりに、千人の大事務所
でも全く流行を生み出せないこともある。一
八歳の少年がコンピュータ・ソフトで大儲け
することもあるが、三〇年のベテランも全く
だめなこともある。【0】口コミだけで最高
のイメージを得るお店もあれば、大広告の成
果が全くないこともある。主観に依存する知
価は、いかにそれが社会化されてもやっぱり
数値化不可能であり、コストとの関係も存在
しない値打ちなのだ。
 こうした社会的主観に依存する数値化でき
ない「知価」への傾斜が深まることは、専(
もっぱ)ら数値による客観性を重視してきた
工業社会的合理精神には、許容しがたい事だ
。当然、それ故の反発も反感もある。そこか
ら「いろんな運不運があっても全体として巨
視的平均的に見れば、やっぱり価格はコスト
に見合うはずだ」という主張も出てくるに違
いない。
 しかし、仮に日本全体、あるいは日本全体
の何年間かといった大数(たいすう)平均を
した結果が「価格はコストに見合う」として
も(こんな事実があるという保証は全くない
)、物財や単純なサービスにおけるごとく「
コストに価格が接近する運動を繰り返す」た
めではなく、コストから上下双方に大きく乖
離した価格がそれぞれ単独に発生した結果の
偶然に過ぎない。
 要するに、「知価」の値打ちの形成原理は
、工業社会的ではないし、そんな知価に対し
て欲求を募らせ、惜しみなく対価を支払う精
神も、工業社会的合理精神とは異質のもので
ある。
 だからこそ、「知価」が重要な役割を果た
すような社会――「知価社会」は、工業社会
の延長上にある「高度社会」などではなく、
工業社会とは全く別の「新社会」なのである

 今、この一九八〇年代に、日本で、そして
世界の先進諸国(とりわけアメリカ)で起こ
っている変革は、単なる技術革新でもなけれ
ば、一時的な流行でもない。それは、産業革
命以来二百年振りに人類が迎えた「新社会」
を生み出す大変革、いわば「知価革命」なの
である。

(堺屋太一 『知価革命』による)