ワタスゲ の山 6 月 2 週 (5)
★科学技術は地域や民族の(感)   池新  
 【1】科学技術は地域や民族の差異を越え、それゆえにヨーロッパに生まれたという出自の制約を抜け出て、全地球に広がった。その普遍性は、あたかもすべてを均等にきりそろえる刃物のような硬さをもって地域文化を水平化し、生活空間を均一化し、社会システムを一元化していく。【2】その傾向は「硬い普遍性」をもっている。それに対し、文化は特定の地域の伝統や民族のエトスに育まれるものとして本性上ローカルな性格をもちながら、しかも、ある「柔らかい普遍性」をふくんでいる。文化の柔らかい普遍性は、究極的には宗教の普遍性にあらわれるといってよいであろう。【3】宗教はかならずその発生地のローカルな神観念や自然観と密接にむすびつき、民族宗教的でありながら、しかも人間の生死にかかわる事柄として、大なり小なりユニヴァーサルで世界宗教的な側面をもつのである。
 【4】簡単な言い方をすれば、ヨーロッパにおいては、科学技術の硬い普遍性と文化の柔らかい普遍性とは根本的には対立することなく、いわば同心円をなしたのである。それは科学技術が自らの精神の自発自展だったということと同じである。【5】厳密に言えば、「技術」を受け入れる地盤に文化のエトスがふくまれる以上、技術それ自体は必ずその内に「柔らかい普遍性」をふくむはずである。一元性の硬さは、厳密には技術にではなくて科学に帰せられる。【6】ヨーロッパでは、科学の思考が自らの精神そのものに胚胎していたがゆえに、柔らかさの中心が硬い科学技術の殻を形成したといえる。
 そのことは一見普遍的に見えたヨーロッパ的世界が、実はひとつのローカルな地域であることを意味する。【7】もちろん科学技術によって可能となった牧歌的「文明」が、「文化」の精神性を脅かすという危機意識は、いろいろな思想家において表明された。しかし、それは、ヨーロッパ精神の内部での危機意識にとどまっていたのである。【8】それはどこまでも「自己」批判であり、その自己のうちに非ヨーロッパ世界という「他者」を含むことはなかった。
 それに対して、日本近代がヨーロッパ近代の受容をともなって成立したとき、両者は同心円を形成するわけではなかった。【9】硬い普遍性と柔らかい普遍性とは、いわばそれぞれの中心をずらして∵併存(へいぞん)しつつ、同一のエポックを形成したのである。あるいは、柔らかい普遍性がいろいろの中心を併存せしめ、そのひとつとして科学技術を内につつんだのである。【0】その多中心的な複合構造が、自己同一性を基本とするヨーロッパ近代と日本近代の構造上のちがいだともいえる。
 分かりやすい例をひとつ挙げよう。火薬の発明により戦争の仕方が一変したことは、周知のとおりである。そのことは、洋の東西において同じである。しかし子細(しさい)にみればどうか。ドイツの文化史家フリーデルがその名著『近世文化史』の中で指摘したように、火薬の発明によって人間のあり方が変わった。「騎士」は「兵士」になったのである。自分の名をもち、名を名乗ることによって戦いを始め、自分と自分の家門の名誉を何より重んじた騎士の武芸は、鉄砲の前には児戯に等しいものとなり、それに対抗すべく騎士は兵士となった。人間はそれによって、鉄砲と同じくひとつの部品として調達される、代替可能な存在となった。(中略)
 それに対して、日本では事情は異なっていた。武士は火薬の発明以後に代替可能で、匿名の兵士というあり方を兼ねつつも、武士というあり方を失わなかったのである。日本の「武士」は、別のエトスの中で生きていたからである。武士と主君とをむすびつけたものは、解消可能な「契約」ではなくて、領地を媒体とした共同体意識である。そこでは、自己の主体性を主張し、他を客体として吟味するという姿勢はない。暗愚の主君だから仕えることを止めるといえば、ヨーロッパの契約の精神からすればあり得るが、日本の武士道の精神では理にそむく。主君に仕えるということは自分の主体的決断でなされることではなくて、自分の決定以前のことなのである。そこでは、主体性の確立よりは自我の滅却が尊ばれる。そういう武士にとって、火薬や鉄砲は文字どおり舶来の武器である。彼らは、その舶来の武器を駆使するようになった。しかし武士はそれによって戦争の仕方を一変させはしたが、武士であることを止めなかったのである。
(大橋良介「武士的なもの、ヨーロッパ的なもの」)