長文集  5月2週  ★一つの集団は(感)  wa-05-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】一つの集団は、一人の裏切者と、一
人の犠牲者を生み出すことによって完成され
る。つまりその時、集団は論理的に構成され
るのである。キリストとユダの伝説が、私に
このヒントを与えてくれた。【2】恐らくあ
の十三人は、対人関係を独立したメカニズム
として純粋培養するためのベテラン達だった
のであり、またそうせざるを得ない環境にお
かれていたのだろう。(中略)
 私は、はじめにキリストがあって、そこに
十二人が従ったという説を、ほぼ信じない。
【3】まず、変転としてとらえどころのない
奇妙な関係の中に十三人が居たのであり、そ
れが果てしない放浪の末に、ユダとキリスト
を生むことによって、一つの「関係」として
完成されたのである。
 ユダもキリストも、それぞれがそれぞれを
含む「十三人目」だったに違いないと、私は
考えている。【4】そして、何よりも、ユダ
が「裏切者」として発明されることによって
はじめて、キリストが「犠牲者」となり得た
のであろう。新約時代、彼等十三人が為した
最大のことは、「裏切者」としてのユダを発
明したことであり、むしろキリストを発明し
たことではなかったのではないかと、私は考
えているのだ。(中略)
 【5】創世記に、アブラハムについての奇
妙なエピソードが語られている。「神はアブ
ラハムを試みて言われた。『アブラハムよ、
あなたの子、あなたの愛するひとり子イサク
を連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山
で、彼をささげなさい』(中略)【6】彼ら
が神の示された場所にきたとき、アブラハム
は、そこに祭壇を築 き、たきぎを並べ、そ
の子イサクを縛って祭壇のたき木の上にのせ
た。そしてアブラハムが手を差しのべ、刃物
をとってその子を殺そうとした時、主の使が
天から彼を呼んで言った。【7】『アブラハ
ムよ、わらべに手をかけてはいけない。また
何も彼にしてはならない。あなたの子、あな
たのひとり子をさえわたしのために惜しまな
いので、あなたが神を恐れる者であることを
わたしは今知った』」(第三十二章)∵
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 【8】ここから、私は「裏切者」がやがて
発明されねばならないという予感を読み取れ
そうな気がする。このアブラハムの、神に対
して一方的にのめりこんでゆく無気味な心情
は、恐らく一方で自らのうちに「裏切者」を
用意しそれに対する憎悪で相殺(そうさい)
され、安定する事を期待するに違いないから
である。【9】つま り、この一方に「裏切
者」が存在する事によってはじめて、わが子
を殺すという行為は、アブラハムに於て自己
完結するからである。「裏切者」とは集団の
対人関係の、独立して自己完結しようとする
メカニズムが必然的に生み出す、ある形態で
ある。【0】集団は、「神に対するおそれ」
というとめどもなく一方的な不安定な心情 
を、「裏切者」によって、緊張しあう安定し
たものにすることが出来る。「裏切者」とい
うのは絶対的な悪ではない。「裏切る」とい
う行為は相対的なものであり、従って集団は
永遠にそれを対象化することが出来ない。故
にそれは、集団の内部を律するメカニズムを
持続的に緊張させつづけることが出来るので
ある。
 新約によれば、キリストは、彼を死刑にし
た外部勢力に対してよりも、ユダに対して緊
張しあっている。つまり、その時、その集団
は、外部勢力に対して拮抗することではなく
、集団として自己完結することを選びつつあ
ったのであり、そのために自ら「裏切者」を
用意してみせたのであろう。
 言うまでもなく、集団が自己完結を目指す
のは、集団が衰弱しはじめている証拠である
。しかし、集団は常に、いつかは衰弱期を迎
えるものであり、自己完結することを目指す
のである。現に今でも「裏切者」と「犠牲者
」によって自己完結を目指しつつある集団を
たびたび目にする事ができる。一つの集団を
律する原理は、新約時代からちっとも進歩し
ていないのかもしれないのだ。

(別役実「電信柱のある宇宙」から)