長文集  4月4週  ○言語と思考の関係は  wa-04-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/15 14:37:00
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は
一番目の長文です。】
 【1】文明とは何かを地球システム論的に
考えると、「人間圏を作って生きる生き方」
となります。人間圏の誕生がなぜ一万年前だ
ったかというのは、気候システムの変動に関
わってきます。【2】気候システムが現在の
ような気候に安定してきたのは一万年前のこ
とです。それに適応してその頃、我々はその
生き方を変えたんですね。
 【3】人間圏を作って生きる生き方という
のは、じつは農耕牧畜という生き方です。そ
れ以前、人類は狩猟採集という生き方をして
きた。狩猟採集というのはライオンもサルも
、あらゆる動物がしている生き方です。【4
】したがってこの段階までは人類と動物の間
に何の差異もなかった。これを地球システム
論的に分析すると、生物圏の中の物質循環を
使った生き方ということになります。生物圏
の中に閉じた生き方です。
 【5】それに対して農耕牧畜はというと、
たとえば森林を伐採して畑に変えると、太陽
からの光に対するアルベド(反射能)が変わ
ってしまう。ということは、地球システムに
おける太陽エネルギーの流れを変えているわ
けです。【6】また、雨が降ったとき、大地
が森林でおおわれているときと畑とではその
侵食の割合が異なります。別の言葉でいえば
、そこに水が滞留している時間が違ってく 
る。すなわち、エネルギーの流れだけではな
く、地球の物質循環も変わるということです
。【7】これを地球システム論的に整理して
概念化すると、人間圏を作って生きるという
ことになる。人類が生物圏から飛び出して、
人間圏を作って生き始めたために、地球シス
テムの構成要素が変わったわけです。
 【8】ところで、先ほど一万年前に人間圏
ができたのは気候が変わったからだと言いま
した。そういう時期は最近の一〇〇万年くら
いをとっても何回かあったでしょう。【9】
人類の誕生以来の歴史七〇〇万年ぐらいまで
遡ってみれば、一万年前と同じような時期が
何度もあったはずですから、たとえばネアン
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デルタール人が農耕を始めてもよかったこと
になる。でも、彼らはそうしなかった。【0
】農耕牧畜という生き方を選択し、人間圏を
作ったのは、われわれ現生人類∵だけなんで
す。
 それはなぜなのか。現生人類に固有の、何
か生物学的な理由があるのではないかと考え
られます。類人猿や他の人類にはなく、我々
だけがもっている特徴は何だろうと考えると
、まず思い当たるのは「おばあさん」の存在
です。おばあさんとは、生殖期間が過ぎても
生き延びているメスのことです。たとえば、
類人猿のチンパンジーのメスと比べても、現
生人類のメスは生殖期間終了後の寿命が長 
い。なおこの場合、オスは関係ありません。
オスは死ぬまで生殖能力があります。したが
って、おじいさんは現生人類以外にも存在し
ます。しかし、おばあさんは他の哺乳類には
存在しないし、ネアンデルタール人の化石か
らも、現生人類のおばあさんに相当する骨は
見つかっていません。おばあさんの存在は、
現生人類だけに特徴的なことなんです。
 では、おばあさんが存在すると何が起こる
のか。すぐに思いつくのは、人口増加です。
なぜかというと、おばあさんはかつて子供を
産んだ経験をもつわけですから、お産の経験
を娘に伝えることができる。するとお産がよ
り安全になり、新生児や妊婦の死亡率も低く
なりますね。
 さらにおばあさんは、娘が産んだ子供のめ
んどうもみます。たとえば娘の生殖期間が一
五年として、子育てに五年かかるとしたら三
人しか産めない。ところがおばあさんがいる
ことで五年が三年に短縮されたら五人産める
。ということで、おばあさんの存在が人口増
加をもたらしたのではないかと、私は考えて
います。このことは最近の研究からも確かめ
られています。
 我々現生人類は一五万年前ぐらいにアフリ
カで誕生したのです が、五、六万年前ぐら
いには、すでに地球上に広く分布するように
なっていました。人類のような大型動物が、
なぜこんな短期間に世界中に拡散していった
のか。これも現生人類の人口増加という問題
を考えるとその理由が判ります。

 (松井孝典『松井教授の東大駒場講義録』
)∵
 【1】言語と思考の関係は実は学問の世界
でも同様である。言語には縁遠いと思われる
数学でも、思考はイメージと言語の間の振り
子運動と言ってよい。ニュートンが解けなか
った数学問題を私がいとも簡単に解いてしま
うのは、数学的言語の量で私がニュートンを
圧倒しているからである。【2】知的活動と
は語彙の獲得に他ならない。
 日本人にとって、語彙を身につけるには、
何はともあれ漢字の形と使い方を覚えること
である。日本語の語彙の半分以上は漢字だか
らである。これには小学生の頃がもっとも適
している。【3】記憶力が最高で、退屈な暗
記に対する批判力が育っていないこの時期を
逃さず、叩き込まなくてはならない。強制で
いっこうに構わない。(中略)
 大局観は日常の処理判断にはさして有用で
ないが、これなくして長期的視野や国家戦略
は得られない。【4】日本の危機の一因は、
選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダ
ーたちが大局観を失ったことではないか。そ
れはとりもなおさず教養の衰退であり、その
底には活字文化の衰退がある。国語力を向上
させ、子供たちを読書に向かわせることがで
きるかどうかに、日本の再生はかかっている
と言えよう。
 【5】アメリカの大学で教えていた頃、数
学の力では日本人学生にはるかに劣るむこう
の学生が、論理的思考については実によく訓
練されているので驚かされた。大学生であり
ながら(−1)×(−1)もできない学生が
、理路整然とものを言うのである。【6】議
論になるとその能力が際立つ。相手の論理的
飛躍を指摘する技術にかけては小憎らしいほ
ど熟練しているし、自らの考えを筋道立てて
表現するのも上手だ。
 【7】これは学生に限られたことでなく、
暗算のうまくできない店員でも、話してみる
と驚くほどしっかりした考えを持っている 
し、スポーツ選手、スター、政治家などのイ
ンタビューを聞いて も、実に当を得たこと
を明快な論旨で語る。
 【8】これと対照的に日本人は、数学では
優れているのに論理的思考や表現には概して
弱い。日本人学生がアメリカ人学生との議論
にな∵って、まるで太刀打ちできずにいる光
景は、何度も目にしたことだった。語学的ハ
ンデを差し引いても、なお余りある劣勢ぶり
であった。
 【9】当時、欧米人が「不可解な日本人」
という言葉をよく口にした。不可解なのは日
本人の思想でも宗教でも文学でもなく(これ
らは彼等によく理解されつつあった)、実は
論理面の未熟さなのであった。少なくとも私
はそう理解していた。【0】科学技術で世界
の一流国を作り上げた優秀な日本人が、論理
的にものを考えたり表現する、というごく当
たり前の知的作業をうまくなし得ないでいる
こと。それが彼等にはとても信じられないこ
とだったのだろう。
 日本人が論理的思考や表現を苦手とするこ
とは今日も変わらな い。ボーダーレス社会
が進むなか、阿吽の呼吸とか腹芸は外国人に
通じないから、どうしても「論理」を育てる
必要がある。いつまでも「不可解」という婉
曲な非難に甘んじているわけにはいかない 
し、このままでは外交交渉などでは大きく国
益を損うことにもな る。
 数学を学んでも「論理」が育たないのは、
数学の論理が現実世界の論理と甚だしく違う
からである。数学における論理は真(正当性
一〇〇パーセント)か、偽(ぎ)(正当性〇
パーセント)の二つしかない。真白か真黒か
の世界である。現実世界には、絶対的な真も
絶対的な偽(ぎ)も存在しない。すべては灰
色である。殺人でさえ真黒ではない。死刑が
ある。殺人は真黒に限りなく近い灰色であ 
る。
 そのうえ、数学には公理という万人共通の
規約があり、そこからすべての議論は出発す
る。現実世界には公理はない。すべての人間
がそれぞれの公理を用いていると言ってよい

 現実世界の「論理」とは、普遍性のない前
提から出発し、灰色の道をたどる、というき
わめて頼りないものである。そこでは思考の
正当性より説得力のある表現が重要である。
すなわち、「論理」を育てるには、数学より
筋道を立てて表現する技術の修得が大切とい
うことになる。

 (藤原正彦『祖国とは国語』)