ワタスゲ の山 4 月 4 週 (5)
○言語と思考の関係は   池新  
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 【1】文明とは何かを地球システム論的に考えると、「人間圏を作って生きる生き方」となります。人間圏の誕生がなぜ一万年前だったかというのは、気候システムの変動に関わってきます。【2】気候システムが現在のような気候に安定してきたのは一万年前のことです。それに適応してその頃、我々はその生き方を変えたんですね。
 【3】人間圏を作って生きる生き方というのは、じつは農耕牧畜という生き方です。それ以前、人類は狩猟採集という生き方をしてきた。狩猟採集というのはライオンもサルも、あらゆる動物がしている生き方です。【4】したがってこの段階までは人類と動物の間に何の差異もなかった。これを地球システム論的に分析すると、生物圏の中の物質循環を使った生き方ということになります。生物圏の中に閉じた生き方です。
 【5】それに対して農耕牧畜はというと、たとえば森林を伐採して畑に変えると、太陽からの光に対するアルベド(反射能)が変わってしまう。ということは、地球システムにおける太陽エネルギーの流れを変えているわけです。【6】また、雨が降ったとき、大地が森林でおおわれているときと畑とではその侵食の割合が異なります。別の言葉でいえば、そこに水が滞留している時間が違ってくる。すなわち、エネルギーの流れだけではなく、地球の物質循環も変わるということです。【7】これを地球システム論的に整理して概念化すると、人間圏を作って生きるということになる。人類が生物圏から飛び出して、人間圏を作って生き始めたために、地球システムの構成要素が変わったわけです。
 【8】ところで、先ほど一万年前に人間圏ができたのは気候が変わったからだと言いました。そういう時期は最近の一〇〇万年くらいをとっても何回かあったでしょう。【9】人類の誕生以来の歴史七〇〇万年ぐらいまで遡ってみれば、一万年前と同じような時期が何度もあったはずですから、たとえばネアンデルタール人が農耕を始めてもよかったことになる。でも、彼らはそうしなかった。【0】農耕牧畜という生き方を選択し、人間圏を作ったのは、われわれ現生人類∵だけなんです。
 それはなぜなのか。現生人類に固有の、何か生物学的な理由があるのではないかと考えられます。類人猿や他の人類にはなく、我々だけがもっている特徴は何だろうと考えると、まず思い当たるのは「おばあさん」の存在です。おばあさんとは、生殖期間が過ぎても生き延びているメスのことです。たとえば、類人猿のチンパンジーのメスと比べても、現生人類のメスは生殖期間終了後の寿命が長い。なおこの場合、オスは関係ありません。オスは死ぬまで生殖能力があります。したがって、おじいさんは現生人類以外にも存在します。しかし、おばあさんは他の哺乳類には存在しないし、ネアンデルタール人の化石からも、現生人類のおばあさんに相当する骨は見つかっていません。おばあさんの存在は、現生人類だけに特徴的なことなんです。
 では、おばあさんが存在すると何が起こるのか。すぐに思いつくのは、人口増加です。なぜかというと、おばあさんはかつて子供を産んだ経験をもつわけですから、お産の経験を娘に伝えることができる。するとお産がより安全になり、新生児や妊婦の死亡率も低くなりますね。
 さらにおばあさんは、娘が産んだ子供のめんどうもみます。たとえば娘の生殖期間が一五年として、子育てに五年かかるとしたら三人しか産めない。ところがおばあさんがいることで五年が三年に短縮されたら五人産める。ということで、おばあさんの存在が人口増加をもたらしたのではないかと、私は考えています。このことは最近の研究からも確かめられています。
 我々現生人類は一五万年前ぐらいにアフリカで誕生したのですが、五、六万年前ぐらいには、すでに地球上に広く分布するようになっていました。人類のような大型動物が、なぜこんな短期間に世界中に拡散していったのか。これも現生人類の人口増加という問題を考えるとその理由が判ります。

 (松井孝典『松井教授の東大駒場講義録』)∵
 【1】言語と思考の関係は実は学問の世界でも同様である。言語には縁遠いと思われる数学でも、思考はイメージと言語の間の振り子運動と言ってよい。ニュートンが解けなかった数学問題を私がいとも簡単に解いてしまうのは、数学的言語の量で私がニュートンを圧倒しているからである。【2】知的活動とは語彙の獲得に他ならない。
 日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。これには小学生の頃がもっとも適している。【3】記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず、叩き込まなくてはならない。強制でいっこうに構わない。(中略)
 大局観は日常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。【4】日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失ったことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本の再生はかかっていると言えよう。
 【5】アメリカの大学で教えていた頃、数学の力では日本人学生にはるかに劣るむこうの学生が、論理的思考については実によく訓練されているので驚かされた。大学生でありながら(−1)×(−1)もできない学生が、理路整然とものを言うのである。【6】議論になるとその能力が際立つ。相手の論理的飛躍を指摘する技術にかけては小憎らしいほど熟練しているし、自らの考えを筋道立てて表現するのも上手だ。
 【7】これは学生に限られたことでなく、暗算のうまくできない店員でも、話してみると驚くほどしっかりした考えを持っているし、スポーツ選手、スター、政治家などのインタビューを聞いても、実に当を得たことを明快な論旨で語る。
 【8】これと対照的に日本人は、数学では優れているのに論理的思考や表現には概して弱い。日本人学生がアメリカ人学生との議論にな∵って、まるで太刀打ちできずにいる光景は、何度も目にしたことだった。語学的ハンデを差し引いても、なお余りある劣勢ぶりであった。
 【9】当時、欧米人が「不可解な日本人」という言葉をよく口にした。不可解なのは日本人の思想でも宗教でも文学でもなく(これらは彼等によく理解されつつあった)、実は論理面の未熟さなのであった。少なくとも私はそう理解していた。【0】科学技術で世界の一流国を作り上げた優秀な日本人が、論理的にものを考えたり表現する、というごく当たり前の知的作業をうまくなし得ないでいること。それが彼等にはとても信じられないことだったのだろう。
 日本人が論理的思考や表現を苦手とすることは今日も変わらない。ボーダーレス社会が進むなか、阿吽の呼吸とか腹芸は外国人に通じないから、どうしても「論理」を育てる必要がある。いつまでも「不可解」という婉曲な非難に甘んじているわけにはいかないし、このままでは外交交渉などでは大きく国益を損うことにもなる。
 数学を学んでも「論理」が育たないのは、数学の論理が現実世界の論理と甚だしく違うからである。数学における論理は真(正当性一〇〇パーセント)か、偽(ぎ)(正当性〇パーセント)の二つしかない。真白か真黒かの世界である。現実世界には、絶対的な真も絶対的な偽(ぎ)も存在しない。すべては灰色である。殺人でさえ真黒ではない。死刑がある。殺人は真黒に限りなく近い灰色である。
 そのうえ、数学には公理という万人共通の規約があり、そこからすべての議論は出発する。現実世界には公理はない。すべての人間がそれぞれの公理を用いていると言ってよい。
 現実世界の「論理」とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。すなわち、「論理」を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の修得が大切ということになる。

 (藤原正彦『祖国とは国語』)