長文集  4月1週  ○田中美知太郎さんが  wa-04-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2017/03/14 10:49:10
【長文が二つある場合、音読の練習はどちら
か一つで可。】
 【1】緑の豊かな草原に、シカやウサギと
一緒に人間が穏やかにたたずんでいる。空に
は小鳥が飛び交い、日は暖かく周囲を照らし
ている。何かのパンフレットで見た天国の光
景は、このようなものだった。【2】そのと
き、私はふと天国というのは意外に退屈なと
ころかもしれないと思った。私たちの描く未
来の社会は、何の矛盾もない平和な世の中で
はない。もっと溌剌と、生きるエネルギーに
溢れたものであるべきだ。【3】それを、私
は自由な自己実現の可能な社会と呼びたいと
思う。
 個人が自由に自己実現を図るための条件と
して、戦争や暴力のない平和な社会はもちろ
ん必要だ。だが、ここでは、最も重要な条件
として二つのことを挙げたい。【4】その第
一は、豊かさだ。これまでの社会の豊かさは
、主に奪う豊かさから成り立っていたように
思う。安く仕入れて高く売るという考え方に
基づいた豊かさは、より安く仕入れ、より高
く売るために、ライバルを蹴落とすという考
えにも結びついていた。【5】競争によって
社会は豊かになるという考えに、私たちは長
い間慣らされてきた。しかし、自然界に見ら
れる豊かさはこれとは反対のものだ。それは
、いわば、それぞれの生き物が個性を生かし
て作り出した豊かさを分かち合うということ
で成り立っている。【6】人間社会も、この
分かち合う豊かさの仕組みを生かすことがで
きるはずだ。
 個人が自由な自己実現を図るための条件の
第二は、自分自身の目標を見つけるための教
育だ。【7】これまでの教育は、言わば与え
られた一本道で序列をつけるための教育だっ
た。そこで優先されたのは、個人の目標より
も、社会の目標に合わせることだった。学び
たいものよりも、学ぶべきものが優先される
教育では、学ぶ意欲はわきにくい。【8】し
かも、その学ぶべきものの多くは、何かの役
に立つというよりも点数をつけるために役に
立つということで学ばされてきたのではない
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か。これからの社会では、一人ひとりが各人
の適性にあった教育を自ら選ぶことができる
ようになる必要があ る。それは、もちろん
適性の差が格差に結びつかない社会を前提に
している。∵
 【9】「カゴに乗る人、かつぐ人、そのま
たワラジを作る人」という言葉がある。社会
は、さまざまな人の分業によって成り立って
いる。その分業が社会の豊かさに結びつくた
めには、カゴに乗る 人、かつぐ人、そのま
たワラジを作る人それぞれが自分の希望でそ
の仕事につくと同時に、それぞれの仕事に待
遇面での格差がないことが必要だ。【0】こ
れからの社会では、個人の幸福は社会全体の
幸福を抜きにしてはありえない。自由な情報
社会では、すべての人が納得する仕組みでな
ければ、安定した社会は作れないからだ。未
来の社会は、天国のような外見の穏やかさの
中にあるのではない。社会を構成する一人ひ
とりが生きがいを持って生きることの中にあ
る。天国を作り出すのは、シカやウサギも含
めたすべての構成員の日々の生き生きとした
生活なのだ。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)∵
 【1】田中美知太郎さんがプラトンの事を
書いていたのを、いつか読んで大変面白いと
思った事がありますが、プラトンは書物とい
うものをはっきり軽蔑していたそうです。【
2】彼の考えによれ ば、書物を何度開けて
みたって、同じ言葉が書いてある、一向面白
くもないではないか、人間に向って質問すれ
ば返事をするが、書物は絵に描いた馬の様に
、いつも同じ顔をして黙っている。人を見て
法を説けという事があるが、書物は人を見る
わけにはいかない。【3】だからそれをいい
事にして、馬鹿者どもは、生齧りの知識を振
り廻して得意にもなるのである。プラトンは
、そういう考えを持っていたから、書くとい
う事を重んじなかった。書く事は文士に任せ
て置けばよい。哲学者には、もっと大きな仕
事がある。【4】人生の大事とは、物事を辛
抱強く吟味する人が、生活の裡に、忽然と悟
るていのものであるから、たやすく言葉には
現せぬものだ、ましてこれを書き上げて書物
という様な人に誤解されやすいものにして置
くという様な事は、真っ平である。【5】そ
ういう意味の事を、彼は、その信ずべき書簡
で言っているそうです。従って彼によれば、
ソクラテスがやった様に、生きた人間が出会
って互いに全人格を賭して問答をするという
事が、真智(しんち)を得る道だったので 
す。【6】そういう次第であってみれば、今
日残っている彼の全集は、彼の余技だったと
いう事になる。彼のアカデミアに於ける本当
の仕事は、皆消えてなくなって了(しま)っ
たという事になる。そこで、プラトン研究者
の立場というものは、甚だ妙な事になる、と
田中氏は言うのです。【7】プラトンは、書
物で本心を明かさなかったのだから、彼自ら
哲学の第一義と考えていたものを、彼がどう
でもいいと思っていた彼の著作の片言隻句か
らスパイしなければならぬ事情にあると言う
のです。【8】今日の哲学者達は、哲学の第
一義を書物によって現し(ママ)、スパイの
来るのを待っている。プラトンは、書物は生
きた人間の影に過ぎないと考えていたが、今
日の著作者達は、影の工夫に生活を賭してい
る。習慣は変って来 る。【9】ただ、人生
の大事には汲み尽せないものがあるという事
だけが変らないのかも知れませぬ。∵
 文学者は、皆(みな)口語体でものを書く
様になったので、書く事と喋る事との区別が
曖昧になったが、曖昧になっただけです。両
者が歩み寄って来た様に思うのも外見に過ぎ
ない。【0】あれが文学で、あれが文章なら
、自分にも書けそうだという人が増えた、文
学を志望する事がやさしくなった、それだけ
の話で、とるに足らぬ事だ。それよりもよく
考えてみると、実は、文学者にとって喋る事
と書く事とが、今日の様に離れ離れになって
了(しま)った事はないという事実に注意す
べきだと思います。昔、歌われる為、語られ
る為の台本だった書物は、印刷され定価がつ
けられて、世間にばらまかれれば、これを書
いた人間ももうどうしようもないという事に
なりました。今日の様な大散文時代は、印刷
術の進歩と離しては考えられない、と言う事
は、ただ表面的な事ではなく、書く人も、印
刷という言語伝達上の技術の変革とともに歩
調を合わせて書かざるを得なくなったという
意味です。昔は、名文と言えば朗々誦すべき
ものだったが、印刷の進歩は、文章からリズ
ムを奪い、文章は沈黙して了(しま)ったと
言えましょう。散文が詩を逃れると、詩も亦
散文に近づいて来た。今日、電車の中で、岩
波文庫版で金槐集(きんかいしゅう)を読む
人の、考えながら感じている詩と、愛人の声
は勿論その筆跡まで感じて、喜び或いは悲し
む昔の人の詩とはなんという違いでしょう。
散文は、人の感覚に直接訴える場合に生ずる
不自由を捨てて、表現上の大きな自由を得ま
した。この言わば肉体を放棄した精神の自由
が、甚だ不安定なものである事は、散文が、
自分を強制する事も、読者を強制する事も、
自ら進んで捨てた以上仕方がない事でしょう
。いい散文は、決して人の弱味につけ込みは
しないし、人を酔(よ)わせもしない。読者
は覚めていれば覚めている程いいと言うでし
ょう。優れた散文に、もし感動があるとすれ
ば、それは、認識や自覚のもたらす感動だと
思います。

 (小林秀雄『考えるヒント』)