ツゲ2 の山 10 月 1 週
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○自由な題名
◎はじめてできたこと
★お父(母)さんの仕事、秋を見つけたこと

○良いものを長く使う(感)
 【1】良いものを長く使う、というのが粋とされた時代があった。
 イギリスやアメリカの名門大学の講師や教授たちが、肘当てのついたツイードのジャケットを何十年も愛用している話など、私が若いころには皆が憧れたものである。
 【2】無理をして上等の品物を買うと、それが古くなってもなかなか捨てることができない。私の身のまわりには、そんな古着や古靴が山のように積みあがっていて、身のおきどころさえない有様だ。
 【3】これが二、三十年前なら、喜々としてそんな年代物のジャケットや靴やカバンを身につけて出歩いたことだろう。
 だが、そんな時代は、どうやらとっくに過ぎ去ってしまったかのようである。【4】そして世間の風潮が、新しいものを短くサッと使い捨てる方向へ変わってきたことを、いやでも痛感しないわけにはいかない。
 私は新人作家のころに買ったマンションに、三十七、八年間ずっと住んでいて、
「えっ、まだあそこにお住まいなんですか」
と、知人にびっくりされることも少なくない。
 【5】コンクリートの建物は、三十年もたつとかなりいたんでくるものだ。改修をくり返したところで、いつかは限界がくるだろう。
 そんな自宅マンションのガス湯沸かし器の点火部分がこわれたのは、たぶん七、八年前のことではあるまいか。
 【6】何しろ建物が完成して入居した日以来、ずっと使い続けてきた古いガス湯沸かし器なのである。三十年あまりも、よくこわれずに保ったものだ。
 最初から操作する際に、やたらと力が必要な機械だった。【7】バルブを開けるのも、点火スイッチを押すにも、腰をすえて力をこめないと動かない。それだけ頑丈に作ってあるからこそ、三十年も故障なしで使ってこられたのだろう。∵
 【8】その頑固で無骨な旧式のガス湯沸かし器の一部が、ついにこわれた。いい機会だから新型に取りかえようと思った。最近は、見た目もスマートで、機能的にも新しい給湯器が、いくらでも出ているはずだ。
 【9】そう思いつつも、長年愛用してきた古い道具への心残りもないわけではなかった。
 この野暮な湯沸かし器は、一体どこの製品なのだろうかと、ふと興味をおぼえたのである。
 考えてみると、故障ひとつおこさずに三十年も働いてきたというのは、それだけでもえらい。
 【0】あちこち調べていると、黄色く変色したメーカーの紙がはりつけてあるのを発見した。それではじめてその湯沸かし器がドイツ製であることに気づいた。
 メーカーはユンカース。
 (中略)
 さらにあちこち調べてみると、日本の代理店の住所と電話番号が印刷されている。
「何しろ三十年前だからなあ」
と、ほとんど期待しないで電話をかけてみた。すぐに相手がでたので、びっくりする。
「あの、ユンカースの……」
「はい、はい、なんでしょう」
「ガス湯沸かし器の点火スイッチがこわれたんですが、まさか、スペアの部品は……」
「ありますよ。修理なさるんですね」
「えっ、あるんですか」
 ドイツというのは、つくづく凄い国だと思った。

(五木 寛之『新・風に吹かれて』(講談社))