長文 10.1週
1.【1】「ああっ。」
2.
私は、目を
疑いました。
石井君の指は、小さな赤べこをつまんでいました。赤べことは、福島県の
郷土玩具で、「赤いべこ」つまり、赤い体をした、牛のことです。首が
振り子のようにゆらゆらゆれる、とてもユーモラスな
格好の牛です。【2】
私の赤べこは、キーホルダーになっています。それをランドセルに下げていました。
石井君はふざけて
触って遊んでいたのですが、何かの
拍子にはずれてしまったようです。いっしょにいたさやかちゃんが、あわててつけ直してくれようとしました。【3】しかし、赤べこの
背中についていた
輪っかが
折れていて、もうチェーンとつなげることができなくなっていました。
石井君は、いつものいたずらぼうずの顔から、びっくりした顔になって、
3.「ごめん。取れちゃった。」
4.と言いました。
5. 【4】この赤べこは、
私が一年生のとき、福島のおばあちゃんが送ってくれたものです。
私の赤いランドセルにぴったりだったので、一年生のときからずっと、お守り代わりにつけています。
私の大事な大事な
宝物です。
6. 【5】でも、
私は、
石井君がわざと
壊したわけではないと知っていました。
私は、なるべく明るい言い方で、
7.「あ、いいよ。これ、たぶんもう古くなっていたんだ。」
8.と言いました。
石井君は、少しほっとした顔になりましたが、もう一度、
9.「でも、ぼくがひっぱったから……。」
10.と、小さく言いかけました。【6】
私は、
11.「いいの、いいの。気にしない。そういう運命だったんだから。」
12.と、元気に言って、赤べこを手に取りました。
13.
壊れた赤べこに目をやると、赤べこは、のんびりした顔で、手のひらに横たわっています。【7】じっと見ていると、
不思議なことに赤べこが少し
笑ったような気がしました。∵
14.「まあまあ、そんなにしんべ(
心配)しねえで。」
15.そんな牛の言葉まで聞こえた気がして、ふと顔を上げると、
石井君もじっと赤べこを見つめています。
私たちは、顔を見合わせて、思わずくすっと
笑いました。
16. 【8】その日、
私は家に帰ってから、お母さんに、
壊れてしまった赤べこを見せました。お母さんは少し
驚いた顔をしましたが、
事情を聞くとすぐに
納得してくれました。そして、赤べこを見ながら、
17.「
石井君、気にしていないといいね。」
18.と言いました。【9】
私は、牛の声を聞いたんだから
大丈夫、と心の中で思いました。
19. お父さんが帰ってきたら、たぶんうまく直してくれるでしょう。今度、福島のおばあちゃんの家に行くときに、元気になった赤べこを
一緒に
連れていくつもりです。【0】
20.(言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 10.2週
1.
宮崎県にある
幸島は小さな
無人島です。この
島には百
匹余りの
猿が
生息しています。ある日のこと、イネという名の
若いメス
猿が川の水でイモを
洗って
食べました。すると、ほかの
猿たちも
次々とイモを
洗って
食べるようになりました。これまでは、
砂などのよごれのついたイモをそのまま
食べていた
猿たちは、「イネのまねをして
食べるとおいしいね。」と
思ったことでしょう。しばらくして、イネは、川の水ではなく
海の水でイモを
洗うことを
思いつきます。
海の水で
洗うと、
塩味がついてもっとおいしくなるのです。それを見ていたほかの
猿たちも、イモを
海水で
洗うのはいいものだと、イネと
同じように
海水でイモを
洗うようになりました。
2.
幸島の
猿たちがみなイモを
洗って
食べるようになると、
不思議なことに、
大分県高崎山の
猿たちもイモを
洗い始めました。
高崎山の
猿ばかりではありません。
遠く離れた
他の
土地や
島にすむ
猿たちもイモを
洗って
食べるようになったのです。もちろん、これらの
猿たちは、
幸島の
猿たちがイモを
洗うところを
実際に見たわけではありません。しかし、いろいろな
場所にすむ
猿たちが
申し合わせたかのようにイモを
洗い始めたのです。これは、イモを
洗う猿が
一定の
数に
達すると、その
行動が
距離をこえて、ほかの
集団にも
伝染したためではないかと
言われています。
3. これと
似た
現象は、
人間社会にもあります。
何か
新しい発明をした人がいると、ちょうど
同じころ
世界のほかの
場所でも
同じ発明をしている人がいたということがよくあります。
4.
言葉の森
長文作成委員会(Λ)
長文 10.3週
1. 【1】みなさんは
江戸時代の
大名が、「
加賀百万
石の
大名」とか、「
尾張六十万
石の
大名」といったよびかたで、よばれているのをきいたことがあるでしょう。
石高はその国のゆたかさ、大きさをあらわしたいいかたです。【2】
加賀の国は百万
石ものお米がとれる大国です。それほどのゆたかな国を
領地に持つ
大名、という意味です。
2. ちなみに
一石とは、
約百八十リットルを意味します。それはひとりが一年間に食べる、お米の
量にあたります。
3. 【3】
武士や足軽の
給料も、「五人
扶持」「十人
扶持」というように、お米で計算されました。五人
扶持とは、五人のけらいがやしなえるだけのお米です。ひとり一日五合として計算されました。
4. 【4】昭和になって
戦争中、日本には
食糧がなくなり、お米は
配給制になりました。
生産者も
消費者も、かってに売ったり買ったりすることは
禁じられ、
生産されたお米はすべて
政府がいちど買いあげ、
消費者は決められた
量だけを、そこから買うようになっていました。
5. 【5】その、お米を買うための通帳は、長いあいだ、身分
証明書のかわりでもありました。
6. お米とはそれほどに、
国民の生きるための
基本だったのです。人々のくらしや社会のありかたが、お米を
基本とすることで
成り立ってきた国。【6】そんな時代が、ついさいきんまで、ずっとつづいてきた国。そのような国も世界には、ほかにありません。
7. もうひとつ、たいせつなことがあります。お米はわたしたちの気づかぬところで、いつもわたしたちといっしょです。
8. 【7】水道のじゃぐちをひねるとき、あなたはその水がどこからくるか考えてみたことがありますか。川から、ダムから、と答えた人は、ダムにたまるそのおおもとの川の水を、考えてみてください。
9. 【8】日本は山がけわしく、
急斜面の国です。「日本の川は、
滝のようだ。」と、いわれるくらいです。雨がふっても水はいちどきに海へすてられ、あとはたちまちかわいてしまう、あばれ川なのです。それなのに、一か月も二か月も晴れた日がつづいていても、水がな∵がれているのはなぜでしょう。
10. 【9】雨をしっかりと受けとめて、大地につなぎとめている、森林や水田があるからです。
11. ふった雨が森林や水田の土にしみこみ、ゆっくりゆっくり地下を
移動し、何年も何十年も、ときには何百年もかけて、やがて地表にわき出てきます。【0】そのわき水のあつまりが、ふだんながれている川の水なのです。
12.「森林は緑のダムだ。」
13.と、よくいわれます。おなじように水田も、ダムなのです。
14. 田植えどき、水をはった
段々畑を見てください。
15.「なるほど小さなダムたちが、山の
斜面にはりついているなあ。」
16.と、あなたもきっと、感心するでしょう。
17. 水田にたたえられたその水は、地下にしみこみ地下水になり、やがて下流にながれ出て川に水を
提供してくれます。
18. (
富山和子
著「お米は生きている」より)
長文 10.4週
1. 身近な
自然はありふれているだけに、
失ってからでないとたいせつさに気づかないという
矛盾をかかえています。それだけでなく、高度
成長の時代には、
住民自らが
望んで遠ざけたのです。
2. 親しみやすい等身大の
自然も、
油断すると
大敵に
変身します。
裸足で小川に入ると、ガラスの
破片やとがった岩で足を切るし、まれにはおぼれて命をとられることもあります。
淀川などすこし大きくなると、
不思議にもあきらめが先に立ちます。しかし等身大の小川やため池になると、くやしさがまさり、だれかに
怒りをぶつけたくなり、
裁判に
訴えるケースが
増えてきました。
3.
民主主義がみんなのものになり、
泣き寝入りしないで
行政の
責任を問う
市民が
増えたこと、
裁判所が
行政責任をきびしく問い、
住民が
勝訴するばあいがあったことは
評価できます。しかし
地域住民が
参加しないで、後の
対策を
行政だけに負わせる
結果になったことは、いまから考えると大きな
矛盾を生みだしていたのです。
4.
淀川など大きな川にはない
金網が、小さな川に
張られてしまいました。落ちたりけがをすることは
確かに少なくなりましたが、反面で身近な
自然を生活の場から遠ざけることになってしまいました。子どもの遊び場でなくなると、とうぜん
関心がうすれます。自転車や
単車が
捨てられていても長いあいだそのままになっていますし、
雑草も年一回
刈り取られるくらいなので
景観もよくありません。家庭
排水の
捨て場になり、
汚れてくると
埋立てて道路にしたほうがいいということになり、小さな川が
街のなかから消えていきました。
5. 思わぬところで
矛盾が頭をもたげます。十年ほど前、
子供会で遠足に行ったとき、
就学前の女の子がなにかにつまずいて
倒れました。手が出ず顔をまともに地面にぶつけたのです。
本能で手が出るのではなく、戸外で遊びながら身につける運動
能力の一つだった∵のです。
最近は小学生にもいるとの
報道がありました。
6. ある
衛星都市の
保育所では、すこし手足にけがをすると、もうれつに
怒るお母さんがいるそうです。
理屈上はけがをさせたことになるので、
責任を問われると
対応せざるをえません。朝来園したとき、家でついた
傷か
否かのチェックをしなければならなくなったそうです。家庭での生活
能力がおとろえるにしたがって
増えてきた
遅刻指導がエスカレートして、
生徒を
殺してしまった
状況と
似ています。「すみません」ですまない世界がどんどんひろがりつつあるようです。
7.(森住
明弘「
環境とつきあう50話」)
長文 11.1週
1.【1】「ごはんですよ。」
2.キッチンから、お母さんの声がしました。ソースを
煮込むので、そのにおいでとっくにメニューはわかっています。だから本当は勉強していることになっているけれど、ぼくは気もそぞろで、今か今かと部屋のドアを開けて待っていたのです。
3. 【2】和食、
中華、洋食、エスニック、日本では外国に行かなくても、
各国の
料理が楽しめます。お店で食べるだけでなく、いろいろな
食材が売られているので、家でも食べることができます。なんて幸せなのだろうと、ぼくはごはんのたびに思います。
4. 【3】ぼくが
特に好きなのは、イタリアンです。オリーブオイルとガーリックの
香りや、トマトの
酸味、
複雑なハーブの味わいなどがぼくの五感を
刺激します。中でもパスタ
類は
特別で、何もない時は、めんをゆで、オリーブオイルとパルメザンチーズだけで食べられるくらいです。
5. 【4】今夜は、
野菜もたっぷり入れたスペシャルミートソースです。ぼくは、フォークにスパゲティを
巻きつけながら、うっとりと、
6.「どうしてこんなにおいしいのかなあ。本当に毎日でも食べたいよ。」
7.と言いました。
8. 【5】すると、
9.「
啓介は、お母さんのおなかにいるときから、スパゲティが
好きだったからね。」
10. 実はこの話は、毎回
繰り返されるのですが、お母さんは話したことなど、すっかり
忘れて、まるでそれが
初めてのようにいつも
不思議そうに語ります。
11.【6】「お母さんはずっと和食
党だったのに、どういうわけか、
啓介がおなかにいるとき、調子が悪くてもミートスパゲティだけは食べられたの。毎日でもいいくらいに。」
12. そこで決まって、妹ののり子が、
13.「その話、何回も聞いた。」
14.と言います。∵
15. 【7】半分くらい食べた時点で、お母さんが立って、おかわりの分のめんをゆで始めます。ぼくは、たくさん食べるので、二回に分けないとめんが
伸びてしまうからです。
16.「アル・デンテでお
願いね。」
17.ちょっと生意気に、そうオーダーします。
18. 【8】ぼくは、ちょっと
固めのゆであがりが
好みです。
最初は、
柔らかいものだと思っていたのですが、いとこのお姉ちゃんといっしょにビストロに行った時、「
絶妙な歯ごたえ」のアル・デンテという
状態が
最高なのだと教えてもらったのです。
19. 【9】友だちに人気があるのは、
焼肉、お
寿司、カレーというラインナップで、イタリアンなどという子はあまりいません。でも、本当においしいので、いつかイタリアンシェフになって、子どもにも人気のあるお店を作りたいと思っています。そんなことを考えながら、ぼくはおかわりしたお皿を両手で受け取りました。【0】
20.(言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 11.2週
1. 二
種類の
生き物が
一緒に
暮らすことを
共生といいます。その一
例がイソギンチャクとクマノミです。
普通、魚がイソギンチャクの
触手に
触れると、
毒針によって
麻痺させられてしまいます。しかし、クマノミの体の
表面には
特殊な
粘液が
分泌されていて、イソギンチャクの
毒には
反応しません。クマノミが出す
粘液の
成分はイソギンチャクの
粘液の
成分と
似ているため、イソギンチャクはクマノミをえさと見なしません。このため、クマノミはイソギンチャクの
周りをすみかにして、
恐ろしい敵から
身を
守ることができるのです。
2. クマノミの体は、どの
種類も赤、オレンジ、黄色、黒、白などが組み合わさった
鮮やかな色をしています。
歌舞伎役者の
隈取りした
化粧に
似ているのでクマノミという名前がついたそうです。
3. では、イソギンチャクにとって、クマノミが
周囲にいることにどんな
利点があるのでしょうか。クマノミは、イソギンチャクの
周りに
縄張りを
持っており、イソギンチャクの
触手などを食いちぎって食べる魚など、イソギンチャクの
敵を
追い払います。また、イソギンチャクの
触手の間にえさを
置いておくのですが、その
一部はイソギンチャクのえさにもなるようです。つまり、クマノミとイソギンチャクは、
お互いに身を
守ってもらったり、えさの
一部を分けてもらったりして、ギブアンドテイクの
関係を
保っているのです。
4. イソギンチャクカクレエビも、その名のとおり、イソギンチャクと
一緒に
暮らす仲間です。また、ヤドカリやカニの中には、自分のはさみや
貝殻にイソギンチャクをつけて、
身を
守るものもいます。
お互いにえさのやりとりもしているようです。
5. ハゼとエビも
共生しています。ハゼは、エビが
苦労して
掘った
巣穴に
同居します。
視力のよくないエビにとって、自分の
代わりに
見張りをしてくれるハゼは
歓迎すべき
同居人です。また、エビが外出するときも、ハゼは
忠実なボディガードの
役割を
果たします。∵
巣穴の外にいるとき、エビは自分の
触覚をハゼの体に
常にぴたりとくっつけています。
敵が近づいてくると、ハゼは、
尾びれをふるわせてエビに合図をします。エビは、
危険を
察知してすぐに
巣穴に入ります。もちろん、ハゼも
一緒に
巣穴に
戻ります。ハゼとエビは、同じ
巣穴の中で、ハーハー、ゼーゼーと
息を切らしながら、「
危なかったね。」と話をしているのかもしれません。
6. ホンソメワケベラとクエは
掃除共生する組み合わせとして知られています。クエは、本来、小魚をえさとしています。ホンソメワケベラは、クエに
近寄ったら一口で食べられてしまいそうな小さな魚です。しかし、
不思議なことに、ホンソメワケベラが近くに来るどころか、クエの口の中に入っても、クエは
決してホンソメワケベラを食べようとはしません。これは、ホンソメワケベラがクエの
寄生虫を
掃除してあげているからです。クエは、口やえらなどにについた
寄生虫をきれいさっぱりホンソメワケベラに
取ってもらって
上機嫌というわけです。クエがホンソメワケベラを食えないわけはここにあるのです。ホンソメワケベラにとって、
寄生虫はえさにもなるし、大きな魚と
一緒にいることで
敵から
身を
守ることもできて一石二鳥です。
7.
共生関係にある
生き物たちは、
違う種類であるにも
関わらず、
調和を
保って、
平和な
関係を
維持しているのです。
8.
言葉の森
長文作成委員会(Λ)
長文 11.3週
1. 【1】第四に、お米はせまい土地でも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年毎年おなじように、つくることができました。
2. 土は生きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
3. 【2】たとえばヨーロッパでは、小麦をつくります。でも、毎年毎年おなじ畑につくることはできません。一年畑をつかったら、あとの二年は
牧草地にしたり、
肥料になる作物を植えたりして、土地を休ませます。そんなふうにして土の力を
回復させてから、つぎの年、また小麦を植えるのです。
4. 【3】ところが日本ではおなじ土地に、毎年毎年、お米がつくれます。もう二千年も、それ
以上もの年月、そのようにして米づくりがつづけられてきたのです。日本へきたヨーロッパの
専門家たちは、「
信じられない。」と、びっくりするほどです。
5. 【4】そのひみつは水田の「水」にあります。水田に引かれる水には、川が山から運んできた森林のゆたかな土の
養分がふくまれていて、たえず土をおぎなってくれたからでした。
6. 第五に、お米は、おいしかったのです。
7. 【5】お米そのものがおいしいから、おかずをあまり気にせずにすみました。
梅干しや、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんを食べるだけで十分
満足できました。
8. こんなにもたくさんの、長所をもっているお米。
9. 【6】ですからお米は、いまも、「世界のあらゆる
食糧の中で、もっとも理想
的なもの。」といわれています。
10. そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
11.
縄文時代のおわりごろのことでした。
12. いねは、海のむこうから、やってきたのでした。
13. 【7】お米には大きくわけて、ジャポニカとインディカという二つの
種類があります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちの食べているお米です。これに対して、長くてばさばさしているのがインディカで、日本
以外の多くの人たちが、食べているお米です。∵
14. 【8】そのジャポニカのふるさとは、中国の
長江(
揚子江)の
流域だとみられています。
15. 中国の古都、
紹興の近くに、
河姆渡遺跡という
遺跡があります。【9】この
遺跡からは七千年もむかしのいねが発見されているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねが東へ東へと
伝えられ、人と
技術といっしょに海をわたって、日本へやってきたのかもしれません。【0】
16. (
富山和子
著「お米は生きている」より)
長文 11.4週
1. さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという
算術のうまいかえるなどは、もうすぐ暗算をはじめました。いいつけられるわれわれの目方は拾
匁(
約三十七グラム)、いいつける
団長のめかたは百
匁、百
匁わる拾
匁答十。仕事は九百
貫目、九百
貫目かける十、答九千
貫目(
約三万四千キロ)。
2.「九千
貫だよ。おい。みんな。」
3.「
団長さん。さあこれから
晩までに四千五百
貫目、石をひっぱってください。」
4.「さあ王様の
命令です。引っぱってください。」
5. 今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、あめ色にすきとおって、そしてブルブルふるえてまいりました。
6. あまがえるはみんなでとのさまがえるをかこんで、石のあるところへつれて行きました。そして
一貫目ばかりある石へ、
綱をむすびつけて
7.「さあ、これを
晩までに四千五百運べばいいのです。」といいながらカイロ
団長の
肩に
綱のさきを引っかけてやりました。
団長もやっと
覚悟がきまったと見えて、持っていた鉄の
棒を投げすてて、目をちゃんときめて、石を運んで行く方角を見さだめましたがまだどうもほんとうに引っぱる気にはなりませんでした。そこであまがえるは声をそろえてはやしてやりました。
8.「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
9. カイロ
団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っぱりましたが、石はびくとも動きません。
10. とのさまがえるはチクチクあせを流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。まったくあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。
11.「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
12. とのさまがえるはまた四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいのときは足がキクッと鳴ってくにゃりとまがってしまいました。あまがえるは思わずどっとわらいだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、このときのさびしいことといった∵ら
私はとても口ではいえません。みなさんはおわかりですか。ドッといっしょに人をあざけりわらってそれからにわかにしいんとなったときのこのさびしいことです。
13. ところがちょうどそのとき、またもや青ぞら高く、かたつむりのメガホーンの声がひびきわたりました。
14.「王様のあたらしいご
命令。王様のあたらしいご
命令。すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっしてにくんではならん。
以上。」それから声がまたむこうのほうへ行って「王様のあたらしいご
命令。」とひびきわたっております。
15. そこであまがえるは、みんな走りよって、とのさまがえるに水をやったり、まがった足をなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。
16. とのさまがえるはホロホロ
悔悟のなみだをこぼして、
17.「ああ、みなさん、
私がわるかったのです。
私はもうあなたがたの
団長でもなんでもありません。
私はやっぱりただのかえるです。あしたから仕立屋をやります。」
18. あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
19. 次の日から、あまがえるはもとのようにゆかいにやりはじめました。
20.(
宮沢賢治「カイロ
団長」)
長文 12.1週
1.【1】「
浅野たちのチームは今、
燃えている。」
2. 山口先生の声が教室に
響き渡った。今日の朝の会で、
私たちDチームはみんなの前でほめられた。
私たちの学校では、四年生になると女子はミニバスケットのクラブ活動があり、毎日
放課後、体育館で練習をしているのだ。
3. 【2】Dチームは、上から四番目のチームで、公式
試合には出られない。練習の時も、ゴール下はなかなか使えず、パス練習が多い。Cチームを負かして、自分たちがCチームになれば
試合に出られるのだがその
壁は
厚かった。
4. 【3】チームの五人のうち、三人は
5.「どんなにがんばったって、
試合になんか出られないし。」
6.「先生もコーチも、A、Bチームばかり力を入れているみたいだし。しかたがないけど。」
7.という感じで、なんとなくやる気が出ない様子だった。
8. 【4】キャプテンである
私と、
副キャプテンのみちるちゃんは、何とかがんばってCチームに
昇格したいと思っているけれど、チームワークが今ひとつなので、うまくいかないのだ。
私たち二人しか来ない日もあって、Eチームに
混じって練習
試合をしたくらいだ。【5】
私も少しあきらめかけていた。
9. ところが、先月のことだ。みちるちゃんが、
10.「ねえ、このままじゃ、いつかEチームにも
抜かされてしまうかも。がんばって、朝練しない?」
11.と言い出した。みんな
一瞬、えーっという
迷惑そうな顔をした。
12. 【6】しかし、みちるちゃんはひるまず、強い
意志のこもった目でみんなを見つめ、
13.「
私たちだって、
試合に出たいよね?」
14.と問いかけた。
私が思わず、大きくうなずくと、他の三人もつられたように首をたてにふった。∵
15. 次の日から、三十分の朝練が始まった。【7】三十分早く来るのも実は
大変だ。
特に朝が弱い
私とふくちゃんは、朝ごはんもそこそこに、
髪の毛がはねたまま走って登校するようなあわただしさだった。
16.「朝練前にランニングしちゃうようなものだね。」
17.
誰もいない早朝の体育館は、すべてが
私たちのものだ。【8】シュート練習が
思う存分できるし、ドリブル練習も何本もできる。声が
響くのでいやでもテンションが上がっていく。一日目にして、
私は、これはいけるかもしれないと思った。なんだか
昨日までのDチームではないみたいだ。
18. 【9】
翌日からは、山口先生がのぞきに来た。あいさつだけすると、体育館の入口で
黙って見ている。ふくちゃんのロングパスを取りそこねた
私に、先生は転がったボールを拾うと、強めのチェストパスで
渡してくれた。【0】
19.(言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 12.2週
1. 【1】日本と同じ車の
左側通行をしている国は、イギリスをはじめ、
世界の
約三分の一あります。
残りの三分の二の国は、ヨーロッパやアメリカのように
右側通行をしています。
2. 【2】
第二
次世界大戦の
末期、
沖縄を
占領したアメリカは、
沖縄での車の通行を、それまでの
左側通行から
右側通行に
変えました。その後、
沖縄は日本に
返還されましたが、
返還されたあとも、
沖縄ではアメリカ
式の
右側通行が
続いていました。
3. 【3】しかし、
返還から六年後の七月三〇日、
右側通行を
左側通行に
戻すための大
変革が行われました。
4.
切り替えは、前の日の夜から、すべての車をストップさせて行われました。【4】すべての車がストップしていたのはわずか八時間の間でしたが、この間に、すべての
道路標識や
表示が
切り替えられました。交通
整理などのために、本土からも多くの
警察官が
手伝いにかけつけました。
5. 【5】しかしここで、一つの
問題がありました。
普通の車は、ハンドルが右でも左でも、
道路のどちらの
側でも走ることができますが、
困るのは
乗り合いバスです。【6】なぜかというと、バスは、歩道の
側に
乗客が
乗り降りするドアがついているので、新しい通行
規則に
従うと、このドアを
車両の
反対側につけなければならなくなるのです。
6. 【7】そこで、
沖縄県内にあったほぼ一〇〇〇台ものバスが、ほとんど新しくされることになりました。このために、日本国内のメーカーは
総出で、たくさんのバスを
製造したのです。【8】この時に
製造されたバスは、「730車」と
呼ばれています。この「730車」は
非常に
頑丈に作られていたため、数は少なくなりましたが、今でも走っているものがあるそうです。
7. 【9】こうして多くの人々の
努力のかいあって、
沖縄ではたった
一晩で
右側通行から
左側通行への
変更が
無事に行われたのでした。【0】
8.
言葉の森長文
作成委員会 τ
長文 12.3週
1. 【1】日本の大地に根をおろしたいねは、たくさんのみのりをあげてくれました。たくさんとれれば
倉庫にたくわえ、
保存することができました。
2. 人口もふえていきました。【2】すこしばかり
異常気象がきても、もう
以前のように、
餓死するようなことは、すくなくなっていったからです。
3. 人口がふえれば、もっとおおぜいの力をあわせることができました。いままでよりも大きな川から、水を引くことができました。【3】もっとたくさん、水田をひらくことができました。すると、もっとたくさんお米をつくることができました。
4.
倉庫のたくわえも、どんどんふえていきました。
5. 【4】こうして、十人の人をやしなうのに、八人の
労働でまにあうようになったとき、あとのふたりは王や
貴族になることができました。
宗教家になり、
芸術家になり、学者や
技術者や医者になり、商人になることができました。
6. 【5】
余分のお米があれば、よその村でつくったべつの品物と、こうかんすることもできました。米づくりのための道具、くわやすきや、道具をつくるための鉄などと、こうかんすることもできました。
布や着物とこうかんすることもできました。【6】神に
祈りをささげるためのまが玉や、首かざりや、その
原料の石ともこうかんすることができました。金、銀、
銅などのたからものや、動物の毛皮とも、こうかんすることができました。
7. 米を運ぶための船。その船ともこうかんすることができました。
8. 【7】
食糧がたくさんとれるということは、なんとすばらしいことでしょう。
9. 毎年毎年おなじように、つくれるということも、なんとありがたいことでしょう。
10. そして、
保存できるということも、なんとたいせつなことでしょう。
11. 【8】文明というものは、このようにしてしだいしだいに
発達していったのです。村々も、しだいしだいに大きくなっていったのです。
12. 「農業は文明の母である。」といわれています。それは、このような意味からです。∵
13. 【9】さて、米づくりがさかんになるとたくわえのある村とそうでない村との
差ができるようになりました。たくわえのある大きな村がまずしい小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。
戦争です。
14. 【0】米づくりのための水。そのいのちの水をもとめて、どれほどたくさんの水あらそいが、くりひろげられたことでしょう。ゆたかな
水源を手にいれた村は、よりゆたかに、より大きくなることができました。
15.
佐賀県の
吉野ヶ里遺跡からは、矢の
刺さった
人骨や、頭のない人の
骨などが出土しています。水をもとめて、きっとはげしい
戦争がくりかえされたにちがいありません。
16. こうして、力の強い大きな村が力の弱い小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。大きな村々がやがてひとつになって小さな王国になっていきました。
17. 六
世紀ごろまでに日本のあちこちに、そんな小王国がいくつもできるようになり、それはやがてひとつに
統一されて、「日本」という国がつくられていくのです。
18. (
富山和子
著「お米は生きている」より)
長文 12.4週
1. Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう
水夫たちの声がしだいに近づいてきた。
2. Kは
枝のしげみに、身体をかくすようにして
彼らの声に注意を配っていた。
3.
水夫たちが、家の前にあらわれた。
4.
水夫たちは、声高にしゃべりあっていた。
5. ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で
仲間に
告げていた。
6.
水夫たちは雨戸をたたいたり、
交互に入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
7. Kはそれを見て、
彼らが悪者でないことを心に感じとった。
8. 家の中から、何の返事もないので、
水夫たちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
9.
水夫の
一群の中で、いちばん
最後に、入口をのぞいた男が
榕樹の
樹の下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズック
製のからバケツをさげていた。ほかの
水夫たちより少し年をとった白人であった。
彼はズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけた
胸や、
腕の
汗をふいた。オールのように太い
腕は日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この
水夫は
榕樹のかげで少し
涼んでいくつもりらしかった。
10. あんのじょう、
彼は
煙草をとりだして火をつけた。
11. Kは息をのんで、見つめていた。
12. 男は、
煙草をうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、
榕樹を
眺めまわした。
13. Kがあわてたしゅんかん、持っていた
枝がゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
14. Kと西洋人の
水夫は、
視線をあわせてしまっていた。∵
15.
水夫は、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい
笑いを
浮かべていた。
16. Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
17. おりている
途中、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
18. Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。
腕には金色の毛が生えている。
19. 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
20. Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
21. Kは、バケツを持って
井戸ばたへ
案内した。
22. その男は、大声を出して
仲間を
呼び集めた。
水夫たちは
騒ぎながら、ひきかえしてきた。
彼らは、大げさすぎるほどの
表情で
喜びの気持ちをあらわしていた。
23. Kがつるべで水をくもうとすると、
水夫たちは、いっしょに
手伝って、
勢いよくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を
満たしてひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった
水夫と
握手した。
24. エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から
姿を消した。
25. Kは
最初の夕方、エビア号を見て
以来、美しい
帆船の
姿を二度と
忘れることはできなかった。
26.(
庄野英二「白い
帆船」)