1. Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう
水夫たちの声がしだいに近づいてきた。
2. Kは
枝のしげみに、身体をかくすようにして
彼らの声に注意を配っていた。
3.
水夫たちが、家の前にあらわれた。
4.
水夫たちは、声高にしゃべりあっていた。
5. ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で
仲間に
告げていた。
6.
水夫たちは雨戸をたたいたり、
交互に入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
7. Kはそれを見て、
彼らが悪者でないことを心に感じとった。
8. 家の中から、何の返事もないので、
水夫たちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
9.
水夫の
一群の中で、いちばん
最後に、入口をのぞいた男が
榕樹の
樹の下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズック
製のからバケツをさげていた。ほかの
水夫たちより少し年をとった白人であった。
彼はズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけた
胸や、
腕の
汗をふいた。オールのように太い
腕は日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この
水夫は
榕樹のかげで少し
涼んでいくつもりらしかった。
10. あんのじょう、
彼は
煙草をとりだして火をつけた。
11. Kは息をのんで、見つめていた。
12. 男は、
煙草をうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、
榕樹を
眺めまわした。
13. Kがあわてたしゅんかん、持っていた
枝がゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
14. Kと西洋人の
水夫は、
視線をあわせてしまっていた。∵
15.
水夫は、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい
笑いを
浮かべていた。
16. Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
17. おりている
途中、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
18. Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。
腕には金色の毛が生えている。
19. 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
20. Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
21. Kは、バケツを持って
井戸ばたへ
案内した。
22. その男は、大声を出して
仲間を
呼び集めた。
水夫たちは
騒ぎながら、ひきかえしてきた。
彼らは、大げさすぎるほどの
表情で
喜びの気持ちをあらわしていた。
23. Kがつるべで水をくもうとすると、
水夫たちは、いっしょに
手伝って、
勢いよくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を
満たしてひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった
水夫と
握手した。
24. エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から
姿を消した。
25. Kは
最初の夕方、エビア号を見て
以来、美しい
帆船の
姿を二度と
忘れることはできなかった。
26.(
庄野英二「白い
帆船」)