ツゲ の山 12 月 3 週 (5)
★日本の大地に(感)   池新  
 【1】日本の大地に根をおろしたいねは、たくさんのみのりをあげてくれました。たくさんとれれば倉庫にたくわえ、保存することができました。
 人口もふえていきました。【2】すこしばかり異常気象がきても、もう以前のように、餓死するようなことは、すくなくなっていったからです。
 人口がふえれば、もっとおおぜいの力をあわせることができました。いままでよりも大きな川から、水を引くことができました。【3】もっとたくさん、水田をひらくことができました。すると、もっとたくさんお米をつくることができました。
 倉庫のたくわえも、どんどんふえていきました。
 【4】こうして、十人の人をやしなうのに、八人の労働でまにあうようになったとき、あとのふたりは王や貴族になることができました。宗教家になり、芸術家になり、学者や技術者や医者になり、商人になることができました。
 【5】余分のお米があれば、よその村でつくったべつの品物と、こうかんすることもできました。米づくりのための道具、くわやすきや、道具をつくるための鉄などと、こうかんすることもできました。布や着物とこうかんすることもできました。【6】神に祈りをささげるためのまが玉や、首かざりや、その原料の石ともこうかんすることができました。金、銀、銅などのたからものや、動物の毛皮とも、こうかんすることができました。
 米を運ぶための船。その船ともこうかんすることができました。
 【7】食糧がたくさんとれるということは、なんとすばらしいことでしょう。
 毎年毎年おなじように、つくれるということも、なんとありがたいことでしょう。
 そして、保存できるということも、なんとたいせつなことでしょう。
 【8】文明というものは、このようにしてしだいしだいに発達していったのです。村々も、しだいしだいに大きくなっていったのです。
 「農業は文明の母である。」といわれています。それは、このような意味からです。∵
 【9】さて、米づくりがさかんになるとたくわえのある村とそうでない村との差ができるようになりました。たくわえのある大きな村がまずしい小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。戦争です。
 【0】米づくりのための水。そのいのちの水をもとめて、どれほどたくさんの水あらそいが、くりひろげられたことでしょう。ゆたかな水源を手にいれた村は、よりゆたかに、より大きくなることができました。
 佐賀県の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡からは、矢の刺さった人骨や、頭のない人の骨などが出土しています。水をもとめて、きっとはげしい戦争がくりかえされたにちがいありません。
 こうして、力の強い大きな村が力の弱い小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。大きな村々がやがてひとつになって小さな王国になっていきました。
 六世紀ごろまでに日本のあちこちに、そんな小王国がいくつもできるようになり、それはやがてひとつに統一されて、「日本」という国がつくられていくのです。

 (富山和子著「お米は生きている」より)