ツゲ の山 11 月 3 週 (5)
★第四に、お米は(感)   池新  
 【1】第四に、お米はせまい土地でも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年毎年おなじように、つくることができました。
 土は生きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
 【2】たとえばヨーロッパでは、小麦をつくります。でも、毎年毎年おなじ畑につくることはできません。一年畑をつかったら、あとの二年は牧草地にしたり、肥料になる作物を植えたりして、土地を休ませます。そんなふうにして土の力を回復させてから、つぎの年、また小麦を植えるのです。
 【3】ところが日本ではおなじ土地に、毎年毎年、お米がつくれます。もう二千年も、それ以上もの年月、そのようにして米づくりがつづけられてきたのです。日本へきたヨーロッパの専門家たちは、「信じられない。」と、びっくりするほどです。
 【4】そのひみつは水田の「水」にあります。水田に引かれる水には、川が山から運んできた森林のゆたかな土の養分がふくまれていて、たえず土をおぎなってくれたからでした。
 第五に、お米は、おいしかったのです。
 【5】お米そのものがおいしいから、おかずをあまり気にせずにすみました。梅干しや、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんを食べるだけで十分満足できました。
 こんなにもたくさんの、長所をもっているお米。
 【6】ですからお米は、いまも、「世界のあらゆる食糧の中で、もっとも理想的なもの。」といわれています。
 そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
 縄文時代のおわりごろのことでした。
 いねは、海のむこうから、やってきたのでした。
 【7】お米には大きくわけて、ジャポニカとインディカという二つの種類があります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちの食べているお米です。これに対して、長くてばさばさしているのがインディカで、日本以外の多くの人たちが、食べているお米です。∵
 【8】そのジャポニカのふるさとは、中国の長江(ちょうこう)(揚子江)の流域だとみられています。
 中国の古都、紹興の近くに、河姆渡遺跡という遺跡があります。【9】この遺跡からは七千年もむかしのいねが発見されているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねが東へ東へと伝えられ、人と技術といっしょに海をわたって、日本へやってきたのかもしれません。【0】

 (富山和子著「お米は生きている」より)