ツゲ の山 10 月 1 週 (5)
笑った赤べこ   池新  
【1】「ああっ。」
私は、目を疑いました。石井君の指は、小さな赤べこをつまんでいました。赤べことは、福島県の郷土玩具(がんぐ)で、「赤いべこ」つまり、赤い体をした、牛のことです。首が振り子のようにゆらゆらゆれる、とてもユーモラスな格好の牛です。【2】私の赤べこは、キーホルダーになっています。それをランドセルに下げていました。石井君はふざけて触って遊んでいたのですが、何かの拍子にはずれてしまったようです。いっしょにいたさやかちゃんが、あわててつけ直してくれようとしました。【3】しかし、赤べこの背中についていた輪っかが折れていて、もうチェーンとつなげることができなくなっていました。石井君は、いつものいたずらぼうずの顔から、びっくりした顔になって、
「ごめん。取れちゃった。」
と言いました。
 【4】この赤べこは、私が一年生のとき、福島のおばあちゃんが送ってくれたものです。私の赤いランドセルにぴったりだったので、一年生のときからずっと、お守り代わりにつけています。私の大事な大事な宝物(たからもの)です。
 【5】でも、私は、石井君がわざと壊したわけではないと知っていました。私は、なるべく明るい言い方で、
「あ、いいよ。これ、たぶんもう古くなっていたんだ。」
と言いました。石井君は、少しほっとした顔になりましたが、もう一度、
「でも、ぼくがひっぱったから……。」
と、小さく言いかけました。【6】私は、
「いいの、いいの。気にしない。そういう運命だったんだから。」
と、元気に言って、赤べこを手に取りました。
 壊れた赤べこに目をやると、赤べこは、のんびりした顔で、手のひらに横たわっています。【7】じっと見ていると、不思議なことに赤べこが少し笑ったような気がしました。∵
「まあまあ、そんなにしんべ(心配( ))しねえで。」
そんな牛の言葉まで聞こえた気がして、ふと顔を上げると、石井君もじっと赤べこを見つめています。私たちは、顔を見合わせて、思わずくすっと笑いました。
 【8】その日、私は家に帰ってから、お母さんに、壊れてしまった赤べこを見せました。お母さんは少し驚いた顔をしましたが、事情を聞くとすぐに納得してくれました。そして、赤べこを見ながら、
「石井君、気にしていないといいね。」
と言いました。【9】私は、牛の声を聞いたんだから大丈夫、と心の中で思いました。
 お父さんが帰ってきたら、たぶんうまく直してくれるでしょう。今度、福島のおばあちゃんの家に行くときに、元気になった赤べこを一緒に連れていくつもりです。【0】

(言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会 φ)