長文 1.1週
1. 【1】「ここは通れません。」
2.と
菅原君が道をふさぎました。下校する時、いつも一組の
菅原君はまちぶせして
私にいじわるをします。バスを
降りて、うちまでの道がずっといっしょなので、毎日帰りに会ってしまいます。
3. 【2】オナモミの
実をたくさんポケットに入れていてそれをぶつけてきたり、たて
笛のふくろをふりまわしたり、本当に毎日いやなことをします。ランドセルと
背中の間にトカゲを入れられたり、わきに下げている
給食用のコップをとられたりもしました。【3】
帽子を上にひっぱって、ゴムをぱちんといわせるのなんかしょっちゅうです。
私は、とても
悲しくなるけれど、がまんして走って
通り過ぎます。そしてうちに
着いて、お母さんの顔を見ると
涙がぽろぽろ出るのでした。
4. 【4】でも、お母さんは、
5.「
菅原君はさやかとお友だちになりたいからそういうことをするのよ。
今度、いっしょに
遊ぼうと言ってみたら?」
6.などとにっこり
笑うのです。いっしょに
遊ぶだなんて
絶対にいや!
私は心の中でそう思いました。【5】そして、にくらしい
菅原君の顔を
思い浮かべるとくやしい
気持ちでいっぱいになりました。
7. 十二月のはじめ、風の
冷たい日でした。
私は
靖子ちゃんや
典子ちゃんたちと五、六人で、公園でゴムとびをしていました。
夢中で
遊んでいると、そこへ
菅原君たちがやってきました。【6】
私は楽しかった
気持ちが一気にしぼむ
感じがしました。思ったとおり、
菅原君たちは
列に
並びもしないで、じゃまするようにゴムにむかって走って来ます。そして、わざと、ピンとはったゴムにひっかかるまねをしました。【7】その時、ゴムを
持っていた
私は思わず
向こう側の
典子ちゃんに、
8.「まきつけちゃおう。」
9.と
呼びかけました。そして、
菅原君たちを
伸ばしたゴムでぐるぐる
巻きにしたのです。
菅原君たちはギエッと
変な声を出しました。∵【8】
身動きができなくなった
菅原君を見て、
私はなんだかおかしくなって
笑い出してしまいました。みんなもゲラゲラ
笑いました。ぐるぐる
巻きにされた
菅原君たちも、
10.「ごめんなさあい。」
11.と
笑っています。そのあとはなぜか
仲良くなって
大勢でゴムとびをしました。
12. 【9】その日をさかいに、
菅原君は帰り道のいじわるをぴたりとやめました。会っても、「おう」と言うだけで何もしてきません。それどころか、
13.「おまえ、今日
遊べる?」
14.と
誘ってくるようになったのです。いつかお母さんが言ったことは本当だったのだなあと
私は思いました。【0】
15.(
言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 1.2週
1. 【1】ワインはグレープジュースですが、
姿をかえたグレープジュースであることを、みなさんはよく知っていますね。グレープジュースはあまいのにワインはアルコールの
味がします。時間がたつと
変化するこのような
現象を、
発酵とよんでいます。
2. 【2】しかし、どうして
発酵がおこるのだろう? パストゥールの
問題はここにありました。
3. 当時の
最も偉大な
学者たちも、グレープジュースはどんな
生物のたすけもかりずに
自然にアルコールにかわると
主張していました。【3】ところがパストゥールは、グレープジュースそのものが
自然に
発酵することはけっしてないと
主張しました。べつの
役者が
舞台に
登場しているはずである、とかれはいうのです。【4】この
役者はたいへんに小さいため、
顕微鏡でしか見ることができないもので、かれは
酵母とよびました。
4. パストゥールは、
密封してあたためたグレープジュースは
発酵しないことを
証明してみせました。【5】
酵母が作用しなければ、ジュースはワインにはなれないのです。
酵母はジュースの中にふくまれる
糖を食べながらものすごいいきおいで
繁殖します。
糖を、アルコールと
炭酸ガスに
分解します。【6】つまり、アルコールというのは、小さな
生物による
糖の
消化作用の
結果なのです。
5.
病気の
問題とはちがうじゃないか、とみなさんはいわれるかもしれません。ところが、ワインにも
病気があるのです。【7】すっぱくなったり、くさって
味がかわったりすることです。
発酵がひとりでにおこると
信じているかぎり、ワインに
病気があることや、まして、その
病気と
戦うことができるなどと、だれも考えてみないでしょう。
6. 【8】ところがパストゥールは、これらの
病気は、いろいろな
酵母が
酵母自身をやしなうためにワインを
変化させることが
原因であることをしめしました。∵
7. 【9】パストゥールは、こうして
発酵にはそれぞれのとくべつな
酵母があって、ワインを
酢にかえたり、
牛乳をチーズに、
麦芽をビールにかえるはたらきをするのだということを
証明したのです。【0】
8.
9. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 1.3週
1. 【1】
果物をお
皿にのせたまま長いあいだ
放っておいたり、
死んだ
動物をそのままにしておくと、くさったにおいがしてくることは、知っていますね。【2】パストゥールは、このにおいの
原因が、
微生物あるいは
細菌(ギリシア語でmicros「小さい」という
意味)とよばれる、小さな
生き物のしわざであることをつきとめています。
2. 【3】この
生物は、
独特な
性質をもっており、
酸素があると
死んでしまうか「
眠れる森の
美女」のように
眠ったままでいます。【4】ところが、いったん
酸素がなくなるときゅうに元気づいて、どんどんふえはじめます。
3. 【5】パストゥールは、新しい
生物を
発見したのです。それは、
酸素を
必要としない
生物でした。
4. 【6】
有機体(
生物)は、みな何百万もの
微生物をすまわせています。【7】
有機体が生きているあいだは、その
細胞は空気を
必要としているので、これにたえられない
微生物は、
眠った
状態になっています。
生物が
死ぬと、空気が
細胞にはこばれてこなくなります。
5. 【8】こうして
酸素という
脅威からときはなされた
微生物は、まるで王子のキスで目ざめた「
眠れる森の
美女」のように、目をさましはじめます。【9】
成長していくにつれて、
酵母がグレープジュースをワインにかえてアルコールのにおいをさせるように、この
微生物はまわりの
組織を少しずつこわして、
悪臭をはなちます。【0】
6. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 1.4週
1.
伝書バトは、
信頼のおける
郵便配達員のようです。
伝書バトに
届けてもらう手紙は、足につけた小さな
筒の中に入れたり、
背中にくくりつけたりします。
伝書バトは、
託された手紙を、遠く
離れた
相手のもとへ
届けることができます。二百キロメートルぐらいの
距離を
飛ぶのが
普通ですが、時には千キロメートルも
離れた
場所まで
飛ぶこともあります。千キロメートルというと、だいたい東京から北海道、
又は東京から九
州ぐらいまでの
距離になります。これほど
離れた
相手先に、
間違わずにたどりつける
能力にはおどろきます。
2. しかし、こんなに
優秀な
伝書バトにも弱点があります。それは、いつも同じ
届け先にしか手紙を
運べないことと、あまり
重いものは
運べないことです。
伝書バトがめざすのは、手紙のあて先に書かれた
住所ではなく、自分が生まれたハト
小屋です。つまり、
伝書バトの手紙の
配達は、
帰巣本能を
利用したものなのです。
3. 地図も
持たずに何百キロも
離れた地点に
正確にたどりつくのは、人間にとっては、たいへん
難しいことです。
伝書バトは、なぜ自分の
巣のある
場所に
迷わずに帰ることができるのでしょう。かつては、地上に見える
目印と、
太陽の
場所、それに
地球の
磁気をたよりに
飛び、夜になると星を
目印に
進むのだろうと言われてきました。
最近の
研究によると、
伝書バトの
方向感覚は、すぐれた
嗅覚のおかげでもあると言われています。
4. 遠くからでも、
迷わずに自分の
巣に帰ることができるハトの
性質を、
大昔から人間は知っていました。
古代エジプトでは、
漁船が
伝書バトを
使って、
漁の
成果を海から
陸に知らせていたそうです。
一度放たれた
伝書バトは、休むことなく何百キロも
飛び続けるため、電話やメールがない
時代は、
最も速い通信手段でした。∵
近代にいたるまで、
伝書バトは、
軍事用や
報道用の
通信手段として数多く
使われてきました。また、
離れ小島などの
輸送が
難しい地域に、
薬や
血清を
運んで、
医療の
手助けをしていた
伝書バトもいました。
5.
現在では、
通信手段として
伝書バトが
利用されることはほとんどなくなり、スポーツとしてのハトのレースが
開催されている
程度です。本来、
帰巣本能にすぐれているハトですが、近年になって、レースに出たハトが
戻ってこないことがだんだん
増えてきました。
優秀なはずのハトが、なぜか
途中で
迷子になってしまうのです。この
原因は、はっきりとはわかっていませんが、
携帯電話などの
電磁波が
影響しているという
説があります。また、ハトの
品種改良を行なった
際、スピードばかりを
重視して、
方向感覚がにぶってしまったのではないかとも言われています。
6. それにしても、
伝書バトの
郵便配達には、ガソリンなどの
燃料は一切
使わないし、切手も
不要です。ごほうびに
豆をいくつか
与えれば
満足してくれる
伝書バトは、
環境にやさしい、すばらしく
優秀な
郵便配達員ではないでしょうか。
7. ハトと同じように
身近な鳥に、スズメやカラスがいます。どうして
伝書スズメや
伝書カラスがいないかというと、スズメに手紙をつけると
重くて前にすずめないからです。また、カラスに手紙をつけると、
途中で
ゴミ箱に
寄り、手紙のことを
忘れてしまうからっす。
8.
言葉の森
長文作成委員会(κ)
長文 2.1週
1.【1】「もうお肉
取ってもいい?」
2. 十月に入るころから、ぼくのうちでは日曜日の
夕飯はほとんどなべ
料理です。毎週となると、あきるのではないかと思われそうですが、なべ
料理と言ってもいろいろあるのであきることはありません。【2】ぼくのお父さんは
九州の
博多の
出身なので、
3.「やっぱり
水炊きが一番うまいな。」
4.と、いつも
胸を
張っています。やわらかい
鶏肉と、ものすごくおいしいスープを
味わうとぼくもそうだなあと思います。
5. でも、今夜はお姉ちゃんがリクエストした「かいせんキムチなべ」です。【3】かいせんというのは、海でとれる魚や貝のことですが、ぼくのうちでは「かいせん」の時も
豚バラ肉をいっしょに入れます。お母さんに聞いた話では、キムチなべにもいろいろな
辛さがあって、大人でもヒーヒー言うくらい
辛い本場のチゲなべから、
中辛マイルドなキムチなべまでランクがあるそうです。【4】うちは、ぼくがまだあまり
辛いのは食べられないので
中辛マイルドですが、五年生になったら、
辛口に
挑戦したいと思っています。
6. 【5】なべをやると、
部屋中があたたかい
蒸気に
包まれて、エアコンもいりません。
暑がりのお姉ちゃんは、半そでになってしまうくらいです。なべに
材料を
順番に入れたり、
煮えたものを教えたりする人を「なべ
師」というそうですが、うちのなべ
師はお父さんです。【6】お父さんはみんなに、
7.「長ネギはまだだ。いいと言ってからだ。」
8.「
白菜がとろとろになったぞ。」
9.「
豆腐をくずさないように
取れよ。」
10.「そのはまぐりは、
身が
取れているぞ。」
11.「よし、そろそろ
雑炊だな。」
12.などと
指図します。【7】その
様子はちょっといばっていて、まるで会社の
部長とか社長みたいです。でも、お父さんの言うとおりにやる∵と
絶対失敗しないのでプロだな、と思います。
13. なべ
料理の時は、いつもの
夕飯よりみんなおしゃべりな気がします。【8】ぼくがそう言うと、お母さんは、
14.「一つのなべをみんなでつつくから、
連帯感が生まれるのよ。」
15.と言いました。その時ちょうどおねえちゃんが、
16.「見て、この
白菜も
連帯感が生まれてるよ。」
17.と、キムチのスープで赤くなった
白菜をつまみあげました。【9】それは、はしっこがつながっていて、ぼくの
家族と同じく四切れが万
国旗のように
連なっていました。お母さんはあせって、
18.「
連帯感が
大事!」
19.とごまかしました。
湯気の
向こうでお父さんも
笑っていました。【0】
20.(
言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 2.2週
1. 【1】パストゥールは
炭疽菌のいる
血液を
一滴だけとって、これを
尿の中で
培養しました。数日後、この
培養液からまた
一滴だけとって、二番めの
培養液の中におとしました。
2. そして数日後、またおなじことをくりかえしました。
3. 【2】いちばん
最初の
一滴の
血液は毎回うすめられているのですから、この
作業をなんどもくりかえしていけば、
最初の
一滴の中にいた
微生物はとうぜん
消えてしまうはずです。
4. 【3】パストゥールは、このようにして二十回もうすめてきた
培養液から、ほんの
一滴だけとって
動物に
注射しました。すると、
動物はたちまち
炭疽病にかかることがわかりました。【4】
最初の
培養液も、
最後の
培養液も、
病気をおこさせる力はおなじなのです。うすめるたびに
炭疽菌が
繁殖したにちがいありません。そうでなければ、
最後の
培養液は何百
倍にも弱まっているはずですから。
5. 【5】こうして、この小さな
棒状のものが、
炭疽病の
原因だということがわかりました。
6. もし
環境をかえたら、
炭疽菌はどのような
反応をしめすのでしょう。
7. 【6】パストゥールは、ニワトリが
炭疽病にかかっている
羊といっしょにいても、
決して病気にならないこと、また、ニワトリの
体温が高いことを知っていました。【7】そこで、数羽のニワトリを
氷につけてひやしてから、
炭疽菌をあたえてみました。どうなるか
想像してみてください。
8. 【8】しばらくすると、ニワトリはみんな
病気にかかったのです。
9. パストゥールはすぐに
反対の
実験をしてみました。
10. ウサギは
炭疽病にかかりやすい
動物です。【9】何
匹かのウサギをあたたかい
お湯につけて
体温をあげてみました。するとどうでしょう、ウサギは
病気にかからなかったのです!【0】
11. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 2.3週
1. 【1】そのころ、パストゥールは、ニワトリのコレラを
研究していました。かれは
犯人が8の字のかたちをした
細菌であることをつきとめていました。毎日
準備したスープの中で、この
細菌を
培養することができたからです。
2. 【2】一八七九年の夏の
休暇をパストゥールは
故郷のアルボアですごしました。パリに帰ってきたとき、
培養液のことをすっかり
忘れていたことに気がつきました。何週間も
放ったままにしていたのです。【3】かれは
助手にそれをすてるように
命じましたが、ふと思いなおしてともかくニワトリに
注射してみるようにいいました。
細菌はひょっとしたら、まだ
毒性をもっているかもしれません。
3. ところがどうでしょう。ニワトリは、コレラにかかりませんでした。【4】
実験をくりかえして、こんどは新しいとても強力な
培養液を
注射してみました。するとおどろいたことに、ほかのニワトリは
病気になったのに、古い
培養液を
注射しておいたニワトリは、
病気にかかりませんでした。
4. 【5】長いあいだにやしなわれた
直感と、
知識と、それに
偶然も
味方して、パストゥールはその
生涯でもっとも
重大な
発見をすることになったのです。
5. パストゥールは、ジェンナーの
天然痘のワクチン
接種から百年ののちに、新しいかたちの
予防接種法を
発見しました。【6】古くなったコレラ
菌の
培養液を
注射されたニワトリは、この
病原菌のはいっている新しい
培養液に
抵抗することができたのです。この
発見によって、
医学全体が新しく生まれかわることになりました。
6. まず
獣医たちがパストゥールの
仕事を
絶賛しました。
7. 【7】ニワトリコレラを
克服したかれは、ふたたび
炭疽病に
興味をしめしました。ニワトリコレラで
幸運がかれにあたえてくれたことを、こんどは自分の力でやってみるのです。しっかりとした
方法で、
培養液の
毒性をやわらげようとしました。∵
8. 【8】
炭疽菌のはいっている
培養液を、
摂氏四十三
度で八日間
加熱したあとならば、この
培養液を
羊、ウサギ、モルモットに
注射しても、
動物は
発病しません。これらの
動物の体は、弱められた
細菌によって
予防されたのです。【9】この弱められた
細菌は、いわば、もとの
仲間をうらぎって体の
味方をする、二
重スパイの
役割をえんじました。ですから、あとになって「
猛毒」な
炭疽菌を
注射しても、
平気でいることができるのです。【0】
9. こうしてパストゥールは、
動物に
炭疽病のワクチンを
接種する
方法を見つけだしました。
10. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 2.4週
1.
約六千五百万年前に
恐竜が
絶滅すると、
哺乳類が
急速に
繁栄しはじめました。
最初の
哺乳類は、今のネズミに
似ていました。
哺乳類は、
体温を
一定に
保つしくみを体の中に
持っていたので、いろいろな
環境で
暮らすことができ、多くの
種類に分かれていきました。
2. アフリカでは、サルの
仲間である
霊長類が、さまざまな
進化をしていきました。その中でも、森の中で
暮らしていた
霊長類が、
私たち
人類の
祖先だと言われています。
彼らは、
果物などを食べて、一日のほとんどを木の上で
過ごしていました。木の上は
食料がたくさんあり、
猛獣から
身を
守るのにも
都合がよく、
暮らしやすい
場所だったと考えられます。
3. 森の木の上に
住んでいた
霊長類が、どのようにして
人類の
祖先に
進化したのでしょう。これについては、
次のような
説があります。
4. ちょうどこのころ、火山が
活発に
活動し、大きな
地震が
起こり、アフリカ
大陸を南北に
貫く「アフリカ大
地溝帯」が
形成されました。
富士山よりも
標高の高い、長い
山脈ができたことによって、その
東側はだんだん
乾燥し、もともとジャングルだった
場所が草原に
変わっていきました。
5. 草原で生きていくために、
霊長類は木から下りなくてはなりませんでした。
豊かな森と
比べると、草原は
食料が少ない上、
猛獣にも見つかりやすく、おそわれる
危険がありました。
獲物をつかまえたり、
敵をいち早く見つけて
逃げるためには、より遠くを
見渡す必要があったのでしょう。草原で生活を
始めた
霊長類は、二本足で立って歩き
始めました。これが
人類の
祖先です。
6. 直立二足歩行を
始めたことで、
人類の
祖先は、ほかのサルとは明らかに
違う道を歩み
始めました。
彼らは、
自由になった前足を∵手として
使うことができるようになりました。今から三百万年前の
猿人、アウストラロピテクスは、
石器を
使っていました。これが
道具の
始まりです。また、
約五十万年前の原人は、火を
使って生活していたことがわかっています。その後に
出現した
旧人のネアンデルタール人は、
死者を
埋葬する
習慣がありました。
7.
約四万年前に生活していた新人のクロマニヨン人は、
現在の
人類とほとんど
変わらない
姿をしていました。
彼らはすでに
言葉を話し、
協力して
狩りや
漁をして
暮らしていたのです。クロマニヨン人は、ナイフ、刀などの
石器や、
美しく彫刻された
骨角器を作り、
槍や弓矢を
発明して
集団で
狩りを行なっていました。わなをしかけることで、マンモスやシカなどの
巨大な
獲物もつかまえることができました。
彼らの
暮らしていた
洞くつには、今も、
狩りの
成功を
祈って
描いたと思われる
動物の絵が
残っています。
8. このように、アフリカ大
地溝帯の
東側の
厳しい環境が、
人類の
祖先を生み出しましたが、
西側ではどうだったのでしょうか。
食料が
豊富なジャングルの中で
暮らしてきた
霊長類は、
現在まであまり
変わらない
姿を
保ってきました。これが、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなどの、
人類と
最も似かよった
生物とされている
類人猿です。
9. 人間は木から下りることによって、サルと分かれました。しかし、今でも
昔の
時代が
懐かしくなることがあります。公園の木を見るとふと
登りたくなったり、木の上でキャッキャッと
叫んでみたくなったりするのはそのためです。
10.
言葉の森
長文作成委員会(κ)
長文 3.1週
1.【1】「ハッピバースデートゥーユー。」
2.お
誕生日が来るたび、
私はお母さんから自分の生まれた時のお話を聞きます。毎年同じ話を聞いても、なぜかまた聞きたくなるのです。お母さんは、
3.「あなたが生まれたときはねえ。」
4.となつかしそうな顔をします。【2】そして、
5.「なかなか
逆子がなおらなくて、
逆子体操をいっしょうけんめいしたけれど、直前までなおらなかったの。でも、生まれそうになっておなかが
痛くなって
病院に行くと、なぜかくるっとなおっていたのよ。」
6.と
笑います。【3】
私は、赤ちゃんがおなかの
羊水の中でくるっとシンクロナイズドスイミングみたいにまわっているのを
想像します。
7. ときどき、お父さんも話に入ってきて、
8.「あの時は
初めての
体験だったから、お父さんもあたふたしたよ。【4】お母さんは
痛い、
痛いと言うし、
呼び出しベルを
押してもお
医者さんがなかなか来てくれないし。 生まれてきちゃったらどうしようと生きた心地がしなかったよ。」
9.などと早口でまくし立てます。【5】その
様子を見ると本当にあせっていた
様子が
想像できます。
10. おばあちゃんにも聞きました。
11.「それがねえ、いとこのけいちゃんやしんちゃんと
比べても、
信じられないくらい大きな
産声だったのよ。【6】おばあちゃんたちは
廊下で今か今かと
待っていたのだけれど、
厚い分べん室の
扉をつきぬけるような元気なオギャーだったわよ。」
12.と
大笑いしていました。【7】そして
13.「先生や
看護師さんが、もう目をあいてますよと言ったのも
忘れられないわねえ。」
14.と
付け加えました。すると、お母さんたら
15.「そうそう。それからね、生まれたとたん、ぴゅーっとオシッコしたんだったわ。」
16.などと言うのです。【8】
私はこの話だけははずかしいので、いやだ∵なあと思います。
17.
去年まではあまりわからなかったけれど、今はこんな風に
私の生まれたときの話をみんなが
覚えていてくれて、聞かせてくれるというのは
幸せなことだなあと思います。【9】そして生まれたとき、みんなに
見守られていたのだなあとあたたかい
気持ちになります。ときどき、お父さんやお母さんに
反抗したり、わがままなことを言ったりしてしまう
私ですが、この話を思い出すと、やっぱりお父さんとお母さんの子でよかったなあと思います。【0】
18.(
言葉の森
長文作成委員会 φ)
長文 3.2週
1. 【1】パストゥールは
狂犬病の
研究からはじめました。年に千人くらいの人しか
死なないのですが、
狂犬病は、おそろしい
病気です。
2. なぜこの
病気を
選んだかというと、
狂犬病はだれもが
疑わない
伝染病であったことと、この
病気が人間の
病気である前に犬、オオカミ、キツネ、
猫、ウサギなどの
動物の
病気だったからです。【2】もちろん人間の体をつかって
実験することなどできませんが、
狂犬病だと
動物を
使った
実験ができるのです。
3. しかしこの
選択によって、大きな
問題にぶつかることになりました。【3】
狂犬病の
原因となっている
微生物は、
顕微鏡ですら見ることができないほど小さなものだったのです。それは
ろ過性のウイルスとよばれるもので、つまり、もっとも目のこまかいろ紙も通ってしまうウイルスなのです。
4. 【4】パストゥールは
病原菌を見ることができないまま
研究をつづけることになりました。もっと
悪いことには、このウイルスは、大きな
細菌のようにじゃがいもやスープや
尿の中で
培養することができません。【5】
動物の体だけが
繁殖できる
場所でした。あきらめたほうがりこうかもしれません。でも、「
幸運は
大胆な人にほほえむ」ということばをみなさんはもう知っていますね。
5. パストゥールは犬
小屋をつくって、つぎつぎと犬に
狂犬病をうつしていきました。【6】
狂犬病にかかった犬の
脳をすこしとっては、つぎの犬の
脳に
注射するのです。
6. 十日後、この犬はあわを
吹いて、はげしくほえはじめ、そしてもがき
苦しんで、
死んでいきました。そのあとは、今までの
方法を
採用しました。【7】
微生物を
培養して、ひとつの
培養基から、
他の
培養基へ
微生物をうつしていくあのやり方です。こうして、
狂犬病の
培養基をいつでも手に入れることができるようになったのです。∵
7. つぎに、ウイルスを弱める
方法を見つけなければなりません。【8】
害のないものにするのですが、
病気から
動物の体を
守ることができるものでなければなりません。かれは、むずかしいけれども
効果的な
方法をとりいれました。犬のウイルスをサルにうつすと、
狂犬病がすこし
軽くなるのです。【9】このサルから
病原ウイルスをとって、またべつの犬にうつします。するとこの犬は
毒性の強い
狂犬病のウイルス
に対しても
免疫になります。
反対に犬の
狂犬病をウサギやモルモットにうつすと、もっと
毒性の強い
狂犬病になりました。
8. 【0】パストゥールはまもなく、自分の
実験室で、とても弱いものからたいへん
危険なものまで、いろいろな強さの
狂犬病ウイルスを
持つことになりました。一八八四年八月、
公式の
委員会でパストゥールは、
毒性を弱めた
狂犬病ウイルスで
免疫になった二十三
匹の犬は、
猛毒なウイルスを
注射しても
狂犬病にかからず、
免疫にされなかった犬は、ほとんど
狂犬病にかかったことを
説明しました。
9. 見えないウイルスを
自由にあやつることが
可能になったこの
研究は、
画期的なものでした。
10.
11. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 3.3週
1. 【1】
事件がおこったのは、今から
約百年前の一八八五年七月六日のことでした。二日前に
狂犬病の犬にかまれたかわいそうな
犠牲者が、かれらの
実験室につれてこられました。ジョゼフ=メイステルという少年です。
2. 【2】パストゥールははじめ少年の
治療をことわりました。かれの
方法は、まだ
治療に
使えるような
段階ではなかったからです。しかし、友人のビュルパン
医師とグランシェール
医師が、かれを
説得しました。なにもしなくても少年はまちがいなく
死んでしまいます。【3】それは
治療してもしなくても、これ
以上悪くなることはないということでした。
3. パストゥールは
決心しました。四十年という長い
研究のあと、パストゥールはついに人間にたどりつきました。
4. 【4】
狂犬病はかならず
死ぬ病気でした。
5. しかし、パストゥールにとっては
都合のよいこともありました。それは、
狂犬病の犬にかまれてから、
実際に
狂犬病の
症状があらわれるまでに一か月くらい時間がかかることです。【5】この一か月のあいだに、パストゥールはジョゼフ少年に、
毒性の弱いウイルスを
接種して
予防し、
次に接種するもう少し強いウイルス
に対し、
免疫にすることができます。
6. 【6】七月六日の夜に、グランシェール
医師は、できるだけ弱めた
脊髄液をつかってワクチンを
接種しました。それから毎日すこしずつ強いものを
接種していきました。十日め、もっとも
毒性の強い
狂犬病ウイルスを
接種しました。
7. 【7】このときの
不安がどんなに大きいものだったか、みなさん、
想像することができますか。
8. この
病原ウイルスは、とても
毒性が強いので、それだけでも少年の
命をうばってしまうはずです。【8】しかし、さきに少年の体内にはいった
病原ウイルスのあとを
追ってはいりこんだ、この強い∵
狂犬病ウイルスは、
目的をかえてしまいました! 【9】
殺さないで、ぎゃくに少年を
守ったのです。
症状があらわれるはずであった八月ごろには、ジョゼフ少年の体は
病気に対して抵抗できる
状態、つまり
免疫になっていました。【0】
9.
10. 「
細菌と
戦うパストゥール」(ブラーノ=ラトゥール)
偕成社
長文 3.4週
1. 時計が
動くには電池が
必要なように、
私たちが生きて
活動するためには、エネルギーが
必要です。そのエネルギーを、
私たちは
ご飯を食べることで体に
取り込んでいます。お米やパンの中に多く
含まれているデンプンは、
糖質と
呼ばれるものの
仲間で、人間の体の
大事な
栄養の
素です。
砂糖も、この
糖質の
仲間です。デンプンも
砂糖も、いちばん小さい
単糖類というのものに
分解されて体に
吸収され、
私たちのエネルギーになりますが、
脳や
神経は、
単糖類の
一種である
ブドウ糖だけしかエネルギーとして
利用できません。つまり、
脳や
神経を
働かせるために、
糖質はなくてはならないものなのです。
脳や
神経は、
砂糖のおかげで、さっと
動くことができるというわけです。
2.
最近では「太る」とか、「
糖尿病になる」とか、「
虫歯になる」などと言われて、ちょっと
悪者扱いの
砂糖ですが、じつは
私たちにとってはなくてはならない
調味料です。
昔のヨーロッパでは、
栄養豊富な
薬として
使われていたこともありました。
昔、
砂糖は、
現在の
石油のように
輸入しなければならない
高価な
食品だったのです。また、日本でも、
江戸時代ごろから
砂糖を
輸入し
始めましたが、
最初のころ、
砂糖はやはり
薬として高い
値段で
輸入されていました。
3. どうして
砂糖を
輸入しなければならなかったかというと、
砂糖は
最初、サトウキビから作られていたからです。サトウキビというのはイネ科の
植物で、
熱帯や
亜熱帯などの
暑い地方でしか
栽培できないので、ヨーロッパなどでは作ることができませんでした。日本では、
現在は
沖縄と
南西諸島で作られています。
4. サトウキビは、高さが人間の
背の
倍ぐらい、
茎の太さが手首ぐらいの、竹とススキを足して二で
割ったような
姿をしています。
5. サトウキビは
暑い地方でしかとれなかったので、ヨーロッパで力∵のあったスペインやポルトガル、イギリスやフランスなどは、そういう
暑い地方を自分たちの
植民地にしました。そして、その地方の人々や、アフリカから
奴隷として
連れてきた人たちを
働かせて、
砂糖を作らせたのです。
6. しかし、そういう
植民地を
持たない国は、サトウキビ
以外のものから
砂糖を作る
研究を
進めました。そして、今のドイツであるプロイセンの
研究者が、サトウダイコンにも
砂糖が
含まれていることを
発見しました。フランスのナポレオンがサトウダイコンの
栽培に力を入れると、
砂糖はヨーロッパ中に広まりました。
7. サトウダイコンは、テンサイやビートとも
呼ばれ、カブに
似た
植物で、この
根から
砂糖をとることができます。サトウキビと
違って、
涼しい気候でよく
育つので、日本では北海道で
栽培されています。ロシア
民話に出てくるカブは、たいていはこのサトウダイコンのことです。
8.
現在、
砂糖の
約七
割は、やはりサトウキビから作られています。
残りの三
割が、サトウダイコンから作られています。また、サトウカエデの
幹に
穴を
開け、そこから出てくる
液を
集めて
煮詰めたものがメープルシロップで、カナダのものが
有名です。
9. 「
宿題しなさい。」と言われて、「ちょっと
待って。おやつを食べてから。」というのは、
脳に
栄養を
与えてよく
働くようにするという
意味で正しいことです。「
腹が
減っては
戦はできぬ」と言いますが、それは
脳にとっても同じです。
10.
砂糖は今、サトウキビやサトウダイコンやサトウカエデから
取れますが、
将来、
品種改良が
進んで、ニンジンやゴボウやショウガからも
取れるようになるかもしれません。
11.「どうですか。ショウガさん。」
12.「さあ、どうでしょうが。」
13.
言葉の森
長文作成委員会(τ)