ルピナス の山 11 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○そのとき、はじめて
 そのとき、はじめてお悔やみを言いました。
「お蝶小母さんが亡くなられて、私もさびしくなりました。」
 すると、私のまんまえでこちらを向いていた栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立の姿勢をくずさないでいるのでした。まわりに同じ村の人たちが四、五人はいたのですが、敏感にその場の気配を察して、私と栄作さんの間の雰囲気をそっとしておくために、心をくばったようです。瞬時のことです。
 妻をなくして、もうだいぶ月日がたっているのに、夫である栄作さんのつらさが、私に挨拶されて、そんなにも新しくよみがえったことに、まわりの人たちがいたわりを見せたのでした。細身で、どちらかといえば背の高い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻筋のとおった顔は、陽が照り残っているようなつやを見せています。七十は越しているのに髪も黒く、目も切れ長に黒い。その人が少年のように、口もきけず横を見たまま、まっすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれてくるものを見せまいと、背筋を張っていたのに違いありません。その姿は木のように素朴で、悲しみがつっ立った感じでした。いきなり横を向かれた私にも、すぐそのことが会得されました。私はちっとも困りませんでした。そして黙って立ちました。隣り合わせた一本の木のように。(中略)
 横浜での、心のシャッターチャンスがとらえた一枚のスナップについての、これが簡単な説明です。私はこの無形の写真をときどき思い浮かべると、どうしてか気持ちがほうっとふくらんで、くちびるの辺りがほころびてくる。これをユーモアと名付けてよいものか、どうか。ふだんは礼儀正しい明治の老人が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはいえ、私がかすかなおかしみを味わうとしたら、これは第三者の残酷以外のなにものでもないのですが、私にはやはりユーモアと名付けるのがいちばんふさわしく思われます。なめれば甘い、というような単純さで、笑ったからユーモアだ、というのとは別種のもの――。
 伊豆の、山家(やまが)の、炭焼きさんの、という、うたうような語り口。なぜかあの村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズムがあるのを∵感じます。一軒の家の囲炉裏に隣近所のひとが寄ってきてかわす会話の機知に富んだ軽妙さ。ひとつひとつ覚えておかなかったことが残念ですが、覚えるほどのことではない、また覚えきれることではない日常性が、小川の流れのように、上手に時間を、人と人との間柄をとりもって運び続けているのかも知れません。それはまちがいなく「ことば」の果たす役割でした。遠慮のなさ、気取りのなさ、かなりな冗談。それでいてふっと黙る部分がある。それが動作に出る。
 先ごろ田舎に帰ったとき、栄作さんはからだが弱くなって寝ている、というので、その庭先からたずねると、いまはあるじの息子が出てきて私に言いました。「ハイ(もう)年ですからノ。年に不足はないガです。」いちおう声をひそめているものの、障子越しにつつぬけなのはわかっていて、それを、ハラハラなどしないで聞いている自分に、私は確かにここは岩科だ、と思うのでした。通常、跡とり息子が親に対して、そんな陰口をきいたら、お互いどんなメクジラをたてるだろう? 「年に不足はないガです。」そんなことをサッパリと、他人向けに言ってみせる。息子は充分親孝行で、親は親で、案内された囲炉裏ばたで茶をすすっている私のところへひょっくりあらわれ、きちんと膝をそろえるのでした。「この蜂蜜は、自分のに採ったガです。東京へ持ってって下さい。」挨拶や説明はすでに家族がすっかり済ませているのを承知で、栄作小父さんはいきなり四合びんを私のかたわらに置くのでした。透明な器の中で、とろりと濃い蜜が、びんの首まで届いています。
 私はまだまだ顔色のいい栄作さんに目をあて、小父さんはいい耳をしていると、つくづく思いました。

(石垣りん「焔(ほのお)に手をかざして」)