リンゴ の山 9 月 4 週 (5)
○近ごろは、ロンドンにいる、   池新  
 近ごろは、ロンドンにいる、あるいはイギリスにいる日本人はかえって英語を使わなくなったのではないか。日本から同日に配達される日本経済新聞と朝日新聞を読み、衛星放送で日本のテレビを見る。そうすれば英語など使わなくていいのである。そういう考え方の人がふえているのではないだろうか。
 こういう生活をして、本人たちはたいへん気楽なつもりでいるが、イギリスの側からいわせると、こういう日本人はイギリスに来ていったい何をしているんだろう、となる。お金儲け以外なにもしていないのではないか。イギリス人をわかろうともしないし、イギリス社会について知ろうともしないじゃないかと。
 こうして、イギリス人の胸の中にひそんでいる時間はしだいにふくらんでくることは間違いない。彼らはこんなふうに思うのだ。――日本人はイギリスに来て、したい放題のことをしている。お金は使ってくれるし、企業も進出してくれるかもしれないが、実際にやっていることはマナーもないし、イギリス人に敬意を払おうともしない。自分たちだけで好きなことをやって、ここがまるで自分たちの治外法権の場所みたいな顔をしている。いま若い日本人がますますそういう傾向になっていくとしたら、将来はかなり心配である。日英関係にかならず悪影響を及ぼすのではないか――。
 いうまでもないことだが、イギリスにいる日本人のすべて、日本のビジネスマンのすべてがそうだということではない。特に企業人からも尊敬され、公の場所で意見もいうし、イギリス政府にたいしてアドバイスもする。
 こうした日本の企業人とイギリス企業人との大きな違いは、日本の企業のトップは、ビジネスができるだけでなく、教養があるという点である。彼らは文学や芸術のことも話せるし、実際、そういうことに興味をもっている。イギリスのビジネスマンは、サッチャーさんの高等教育拡大方針にもかかわらず、お金儲けはできるし、マネジメントの才もあるが、じつは教養や文化にかかわりのない人が多いのである。お金がたまったらそれを持って外国へ出ようとか、ホリデーをたっぷりとろうとかいうことばかり考えていて、自分の教養を深めるということはしないし、本を読むこともしない。
 そういうビジネスマンが多いイギリスで、日本のトップクラスのビジネスマンは、詩の本を読んでいるとか芸術のこともわかるとか、とてもすばらしいと思われている。もちろんイギリスにもそう∵いう人もいるが、マナーもすばらしいし、英語もきちんと話せる、いわば世界レベルの日本のビジネスマンがふえていることもまた確かなのである。
 そうしたトップクラスのビジネスマンと、日本からやってきたとたんに、日本にはお金があって、イギリスから習うものは何もないと、まるで植民地にでも来たように威張ってみせる若い人たちとの差がひじょうに拡大してきているのではないか。
 長いあいだイギリスにいて、日本企業の地位を高めるのに努力してきた日本のトップクラスのビジネスマンの苦労は、日本が経済的に世界で大きな地位を占めるようになってから生まれた若い人たちの軽はずみな言動やバカげた行為によって覆されてしまうのではないか――そんなことが危惧されるようになってきたのが当節のイギリスなのである。

(マークス寿子『大人の国イギリスと子どもの国日本』)