リンゴ の山 9 月 3 週 (5)
★このところ日本では園芸が(感)   池新  
 【1】このところ日本では園芸が大はやりであるが、花木や草花の名称が大変な勢いで外来語に置き換えられている。旧来の日本の花の名は美しく風雅なものがほとんどであるのに、たとえば彼岸花の類はリコリス、胡蝶蘭はファレノリプシスといった具合に、年ごとに言い換えの数が増えていく。
 【2】もともと気候風土の関係で、日本は植物の種類の豊富さにかけてはヨーロッパのどの国よりも恵まれていた。【3】そのうえ、古くから古代中国の影響で本草学(ほんそうがく)が発達し、また江戸時代の園芸の興隆、茶道の普及などのおかげで、日本の草花の名は英語などに比べると、それこそ比較にならぬぐらい、味のある巧妙なものが多かった。
 【4】これに反し、花木や草花が決定的に少なかった英国では、当然の結果として固有の植物名が乏しく、したがって新たに植物に名をつけるときは、学問的なギリシャ語やラテン語に頼らざるを得ない。【5】その難しい英語名を日本人が外来語として取り入れた結果、一度や二度聞いたのでは覚えることもできない、紛らわしく言いにくい名前が、花屋の店頭やテレビ園芸の時間などに、次から次へと現れてくることになった。
 【6】四季咲きと言えばだれでも分かるのにセンペルフロレンスとなると、ラテン語の知識のある人なら問題がないが、一般の人、殊に園芸愛好家の高齢の人には、何やら呪文めいて正しく発音することも難しい。【7】風車と言えば花の形をうまくとらえた巧妙な名と感心できるし覚えやすくもあるのに、クレマチスでは何の見当もつかない。彼岸花ならば、花の咲く季節との関係でだれにでも分かりやすいのに、それをどうして呼び換える必要があるのだろうか。
 【8】このような現象の背後に、絶えず新しさを求め続ける日本人の積極性を認める人がいるかもしれない。私もその精神は評価すべきだと思うが、それにしても、このような意味不明のなぞめいた外来語で、ほとんど芸術的とさえ言える美しく巧みに工夫された従来の和名を置き換えて、いったいだれが得をすると言うのだろうか。∵【9】新奇さを求める心が一概に悪いとは言えないが、この園芸の分野に見られるような、行き過ぎた外来語の流行はやめてほしいと思う。「バラの花はどんな名で呼ぼうと変わりなくにおう。」というシェイクスピアのロミオの言葉を、日本人は改めて思い起こす必要がある。【0】

(鈴木孝夫「教養としての言語学」による)