1. 【1】映画「
地球交響曲」のシナリオハンティングのため、フィンランド北部ラップランドの森を歩いた。ラップランドはすでに
北極圏に入っている地域で、冬は雪と氷と
暗闇の世界になる。【2】その分、夏は正反対の世界となり、ラップランドの森は、この夏のわずか数か月の間に、あらゆる草木が一気に
芽吹き、花開き、
萌えるような緑に包まれる。【3】ラップランドの夏の森は、まさにすべての生命によって奏でられる
地球交響曲のコンサート会場といった
雰囲気であった。しかし、ラップランドの森は、実は、エアコンの効いた都会のコンサートホールではなく、真の野性が保たれている大自然である。【4】
撮影を目的として大自然の中に
踏み入る時、私はいつも二つの
矛盾した世界の上に立たされることになる。私は大自然の中でシンフォニーをともに奏でる演奏者のひとりとなるのか、それともそのシンフォニーに耳を
傾ける観客のひとりなのか。
2. 【5】ラップランドの夏の森に一歩足を
踏み入れると、まず最初に
出迎えてくれるのは、美しい若葉の緑でもなく、色
鮮やかな草花でもなく、実はおびただしい数の
蚊やブヨの大群なのだ。【6】しかもその数としつこさは都会生活に慣れた私たちの想像を絶するものがある。写真で見た風景の美しさにひかれてこの森にやって来る都会からの旅人たちは、まずこの洗礼を受けることになる。
3. 【7】だから森に入る旅人は
長袖、長ズボン、そして
蚊よけ
帽子をかぶるのが鉄則となる。ところが、私の立場はそうはいかない。まず第一に、
蚊よけ
帽子をかぶっていたのでは
撮影ができない。【8】そして何よりも、このようないわばバリヤーを自分のからだの周囲に築いてしまうことは、森と対話する最も重要な回路を自ら閉じてしまうことになるからだ。
4. 森の本当の美しさは、
嗅覚・
聴覚・
触覚など五感のすべてが解放されてこそ初めて見えてくる。【9】五感のすべてを解放し、全身で森と対話した時、初めて森は私を受け入れてくれる。
5. 多様な木々、草花、虫たち、動物たち、風、
匂い、光などすべてが深く関わり合って一つの大きな生命体として生きている森。【0】森のすべての生命がそれぞれの役割をにないながら、ともに一つの生∵命のシンフォニーを奏でている。そこには安全に
隔離された観客席はない。もし森が奏でるシンフォニーを
聴きたいなら、どうしてもその森の一員として、
隅っこにでも加えてもらわなければならない。
6. ラップランドの森の夏は短い。
蚊たちはこの短い夏の間に、必死で生きて子孫を残そうとしている。夏の森に
侵入してきた私の肉体から血を吸いとろうとするのは森の自然の
摂理そのものなのだ。私が感じるかゆさもまた森が奏でるシンフォニーの楽音の一つなのかもしれない。そう思うと、
刺された時のかゆさは変わらないにしても、そのことに心乱されることからは少し解放されるような気がした。風や
匂いや音に感覚を研ぎすます
余裕も生まれた。
7.(
龍村仁著「地球のささやき」による。)