長文集  8月4週  ○島崎藤村の事を  ri-08-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:53:07
 島崎藤村の事を考えると、私の頭に先ず浮
かんで来るのは、「夜明け前」の出版祝賀会
の席上で、氏が諸家の祝賀の言葉に対して答
えた挨拶を述べた態度である。
 人々のテーブルスピーチが終わると、藤村
(とうそん)は感慨に耽り込んだような、そ
のために少しぼんやりしたような顔附(かお
つき)で静かに立ち上がり、暫くうつむき加
減に黙って佇(たた ず)んでいたが、やが
て顔をもたげ、太い眉をきりりと上げて、そ
してゆっくりした口調でこういったのである

「わたしは皆さんがもっとほんとうの事をい
って下さると思っていましたが、どなたもほ
んとうの事はいって下さらない……」
 そのまま又眼を伏せて暫く黙ってしまった
。人々は粛然と静まり返った。
 実際諸家の言葉は月並でない事はなかった
が、由来こういう出版記念会などにいわれる
言葉は、普通作者に対する祝賀の言葉かねぎ
らいの言葉かであるのが例なので、そういう
ものとして無神経に聴き流してしまえば、別
段とがめ立てしなければならないものでもな
かったように思われる。併(しか)しそれを
ほんとうに聴き、その中から自分の努力に対
する忌憚なき批評をほんとうに探ろうという
気になれば、諸家の言葉が余りに形式的であ
る、月並なお世辞であったという事が、藤村
(とうそん)の心を寂しくしたとしても、こ
れまた無理ではないかも知れないという気が
する。
 それは藤村(とうそん)流の静かないい方
ではあったが、何処かにぴしりと人を打つよ
うな辛いものを含んでいた。月並なお世辞に
対する苦笑に充ちた抗議を持っていた。それ
だから突然叱られたといった感じが黙り込ん
だ人々の顔に現れたわけである。実際叱られ
て見れば、もっともの話である。叱られなか
ったら叱られなくても好いようなことだけれ
ども、叱られて見るとその理由がない事はな
いので、急に人々は襟を掻き合わせて坐り直
さなければならなくなったと云った感じであ
った。
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 藤村(とうそん)は暫く黙った後で、再び
顔をもたげ、太い眉を再びきりりと∵上げ沈
んだ調子で言葉を継いだ。
「大体わたしという人間は、人に窮屈な感じ
を与えるのですか、近づき難いような感じを
与えるのですか、誰もわたしに近づいてほん
とうの事を云ってはくれません……実は決し
てそうではなく、わたしは人に近づきたいの
ですけれど……」(中略)
 氏はそこで語調を変えて、人々の方を見ま
わし、こう結語としていった。
「今夜のように盛大にわたしのために皆さん
に集まって頂こうと は、わたしには全く思
いがけない事でした。わたしはわたしのため
に皆さんに集まって頂いた事がわたしの生涯
にもう一度ありまし た。それはわたしが洋
行した時の事です。わたしは前の新橋の停車
場から発って行きましたが、田山君や柳田君
が途中まで送ってくれるといって、一緒に汽
車に乗り込んで来ました。その時柳田君がわ
たしに向かってこんな事をいったのです。『
人間がこうして自分のために沢山の人に集ま
って貰うのは、まあ洋行する時ぐらいのもの
だね。それともう一つある。それはその人間
の葬式の時さ』と。……わたしは今夜皆さん
がこうして集まって下さった事を、わたしに
対する文壇の告別式だと思っています」
 右の藤村(とうそん)の挨拶は、その時も
今も私の頭に相当強い印象を残している。私
はたゆまずに一歩一歩と、意志的に自分を鞭
うちつつ、とうとう書きたいものをみんな書
いてしまったという強い自信を持った人でな
ければ、そういう言葉はいわれないと思っ 
た。書きたいものをみんな書いてしまったと
、静かに云い切れる作家を目の前に見たとい
う事は、私には全く一個の驚異であった。私
はその事に深い感動を受け、暫くはその感動
のために、自分が圧迫されるのを感じた程で
ある。

(広津和郎『藤村(とうそん)覚え書き』)