リンゴ の山 8 月 3 週 (5)
★文章を読んでいて(感)   池新  
 【1】文章を読んでいて、いっていることが全面的に肯定されるのではない、また、当面必要なことでもないけれども、じっとしていられないような興奮を覚えることがあって、そういうとき、「刺激的」という形容詞が使われる。【2】「刺激的」とはどういうことか。
 かりに、本を円周のようなものだと考えてみる。読者はゆっくりその円に添って走り出す。だんだん速度が加わってくると、はじめのように円に即しているのが困難になり、カーヴでは外へ飛び出そうとするかもしれない。
 【3】「刺激的」とは、そういうカーヴをたくさんもった本ということになろう。
 読者が予期するようなところへ展開するなら、快感はあっても、刺激はすくない。【4】逆に、読者の意表をつくようなことがつぎつぎあらわれると、読者はその都度、タンジェントの方向へ飛び出そうとして、そこに緊張をかもし出す。それが刺激的と感じられる。
 脱線しかけるときに創造のエネルギーが生まれる。【5】直線レールの上を静かにおとなしく走っていれば脱線の危険もないかわり、軌道の外へ出たくても出られない。無理なカーヴを大きなスピードで走り抜けようとすれば脱線するかもしれないが、そこに、新しい道のできるチャンスもある。【6】安全な軌道を選ぶか、危険なカーヴの多い道を選ぶかは好みにもよるが、発見に便利なのは脱線の可能性の大きなルートを走ることである。
 かりに大きなカーヴがあってもスピードがなければ脱線しない。【7】安全運転だけを目標とするのなら、脱線しないのは喜ぶべきことだが、新しい道をつくるには、軌道の上だけ走っていたのでは話にならない。無理なカーヴなら脱線して、より合理的な近道を発見することができるはずである。【8】脱線するにはスピードを出している必要がある。これは自動車の運転とは違う。
 寝ころがって読んだときに、たいへんおもしろいと思ったから、∵ひとつ本腰を入れて読んで何かまとめてみようか、などと考えて机に向かって読むとさっぱりおもしろくなくなってしまう。【9】そういう経験はすくなくない。やはり、読む速度が関係しているように思われる。さっと読んだときは、適当に脱線して、勝手なことを想像しながら読む。ところどころで自分の考えを触発される。それが「おもしろい」という印象になっている。【0】ていねいに読めばいっそうおもしろくなるように考えるのは誤解で、スピードにともなうスリルが消えると、さっぱり刺激的でなくなってしまうのである。(中略)
 大きな木の下には草も育たない、という。大木はすばらしい。寄らば大樹のかげ、という言葉もあるくらいである。近づきたいと思うのは人情であろう。すぐれた本も大木のようなところがある。その下に立っては手も足も出ないで、ただ、大著名著であることを賛嘆するにとどまる。大木は遠くから仰ぎ見るべきものと思って、早くその根もとから離れる必要がある。
 これは本だけではなく、すぐれた指導者についてもいいうる。すぐれた影響力をもっている点にのみ着目していると、そのために個性を失った人間が育つ危険を見落しがちになる。亜流になりたくなかったら、敬遠して影響を受ける必要がある。それを勘違いして、すぐれた先生にはなるべく近づきたいという気持ちにひかれて、せっかくの師の薫陶を台なしにしてしまうことが、いかにしばしば起こっていることであろうか。すぐれた師匠の門下にかならずしも偉才傑物ばかりが輩出するとは限らないのは、大木の枝の下で毒されて伸びるべきものまで伸びないでしまうからであろう。だいいち、門下という言葉からして感心しない。心ある門弟はあえて門外に立つ勇気がいる。
 圧倒されそうな影響をもっているものには不用意に近づかないことである。近づいてもながく付き合いすぎてはいけない。

(外山(とやま)滋比古(しげひこ)「知的創造のヒント」による。)