リンゴ の山 8 月 1 週 (5)
★生きもののように焔をあげ(感)   池新  
 【1】生きもののように焔(ほのお)をあげ、やがて燃えつきて灰になっていくかつての火の姿には、霊的な生命を予感させる存在感があり、すべての人びとの心に、火の思い出にまつわるさまざまな感情を呼び起こしたものだったが、そんな火との対話さえ、最近では次第に忘れられていく。
 【2】それに代わって、家庭の中には、電気釜(がま)や電子レンジが現れ、石油ストーブやセントラルヒーティングが普及し、かつてのランプの焔(ほのお)のまわりに広がっていた闇のしじまは消え失せて、いたるところに真昼のような人工照明の空間が出現してしまったのである。
 【3】考えてみれば、人類の歴史というのは、火の使用という驚くべき体験によって幕をあげたと同時に、じつは、いかにしてその原初の火を手なずけ、制御可能なものにするかという挑戦の歴史であったといえるのかもしれない。
 【4】寒さにこごえ、飢えと動物からの襲撃にさらされて、四六時中休まることのなかった人類が、はじめて火を手なずけることのできたときの感動は、想像にあまるものだったろうが、それと同時に、その火は油断をすればたちまち消えてしまうか、反対に自分たちを焼き滅ぼしてしまいかねない恐るべき存在であったのだ。【5】いわば、神と悪魔を兼ねそなえたような、そんな火を、いつでも好きなとき、好きな場所で、好きな目的のために使えるように制御可能なものにするために、人類は火と格闘し、火に学び、燃焼を制御するさまざまな知恵を発明してきたのだといえる。
 【6】もともと火に備わっていた熱や光の属性を、それぞれ目的別、機能別に解体し、それに応じて燃焼の素材や方式を多様に分化させることで、原初の火のもつカリスマ性を骨抜きにし、【7】いまや人畜無害で、ポケットに入れて運べるミクロの「火」から、スイッチ一つで呼び出せる「アラジンのランプ」まで、無数の人工的な火の代替物をつくり出してしまったのである。
 【8】皮肉なことに、かつての独裁者的な火の神は、いまではすっかりおとなしくなり、たくましく焔(ほのお)をあげて燃える原初の火に∵触れる機会は少なくなったかわりに、火の機能の代替物は、正体のはっきりしないブラックボックスとして、生活の隅々にまで侵入しはじめている。
 【9】それはポケットの中のライターのような貧弱なものばかりではない。都市の中の住区から個々の住宅まで、ツリー構造でのびたパイプや針金のネットワークにそって流れる都市ガスや電気などの火の「素」で、その見えない火のネットワークは、かつての原初の火も及ばぬほどの強烈な潜在エネルギーを秘めて、現代人の生活環境を取り巻いてしまっているのである。【0】
 かつての原初の火は、個人のレベルで向き合って対処することができたが、このように社会化されてしまった現在の火は、時に個人の知らぬところで暴発する。ネットワークの規模が大きくなるほどその供給源と末端の間の階層的距離は広がって、やがて個人の手に負えないものになる。こうして、いまや熱の機能としての現代の「火」は、一方では飼いならされた柔順なしもべであると同時に、他方ではいつどこで暴走するかしれない不気味なダモクレスの剣と化してしまっているのである。

(坂根厳夫(さかねいつお)「科学と芸術の間」より。)