リンゴ の山 7 月 4 週 (5)
○むかしぼくらは、   池新  
 むかしぼくらは、学生で合宿していたころ、よく上野の動物園へ出かけていった。近かったし、ほかに遊びを持ってなかったし、二〜三枚の銀貨でみんなそろって遊べるので、よくいっしょにドヤドヤッと出かけていった。
 しかしぼくは、全体としての動物園をあまりすかなかった。第一、水禽のガアガアなきたてる声があまり愉快でなかった。第二、広い動物園にいっぱいになってるケモノのにおいがたまらなかった。それがひどくからだを疲れさせた。らくだなどことにひどかった。ぼくがみんなといっしょによく出かけたのは主として山猫を見ようためだった。
 山猫めは全身まっ黒の毛に包まれて金いろの目をしていた。かれのしっぽはからだよりも長く、イザというときにはこん棒のようになるにちがいない一種特別のふくらみを見せていた。ぼくの知るかぎりかれは、おりの奥行きの半分より前へは一度も出てこなかった。いつも奥の方にすわって、けっして人になれることがなかった。ぼくはかれに「ごろつき」の名を与えた。かれはぼくに、ごろつき、ニヒリスト、かっぱらい、海賊等のことばを思い出させた。
 熊はおりの金棒につかまって臆面もなく芸当をして見せていた。虎は金いろのしま目をきらめかしておりのなかを行き来していた。それは落ちぶれた貴族のようにものあわれであったが、同時に落ちぶれた貴族のように浅ましい媚びを感じさせた。獅子ときては話にもならなかった。かれはすっかり食(くら)い肥(ふと)って、むかしのこともすっかり忘れはててしまい、ここでいつかかれをつかまえた人間どもから比較的よく待遇されてることにいい気になってしまい、その「あてがいぶち」に満足しきっていた。鈍感になってしまったかれは、ここの動物園のなかでさえ自分を王様と考えてるように見えた。それは豚にも劣るものだった。
 しかし山猫めにそんなことはなかった。
 かれはまっ黒の顔をしてその金いろの目をピカピカ光らせていた。おりの暗い奥の方でそれは燐のように燃えていた。かれはけっして人前で歩いて見せたりはしなかった。こんなところへ押し込め∵になっていてもいつもかれの国のことを考えていた。かるがると飛び、飛び越し、全力でかみ、思う存分血を流すかれの国でそれができないくらいなら、そんなところでたとえそれをすることから肉の一片(ひときれ)を手に入れることができるとしても、そんなことのまねをする必要はないと考えていた。虎や獅子や大蛇なぞがこんなばかものになってしまったとすれば、やつらがそんなに堕落してしまったというその一事のためにもがんばらなければならないと考えていた。かれは本能的に捨て身にかかっていた。それでかれのおりは一種のうすっ気味悪さで見る人に襲いかかった。それで人びとはかれのおりの前にあまり長く立ちどまらず、なるべく黙殺する方針をとり、果ては知らず識らず黙殺して、とうとうそのことに平気になってしまっていた。

(中野重治『山猫その他』)