1. 【1】今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。たまにあっても、ヒッピーのアクセサリーとかワゴン・セールとか、朝市とか、いかにも特別な売り方で、ただなんとなく
道端に立ったりしゃがみこんだりして客を待つという売り手がいなくなった。
2. 【2】順序から言うならば、常設の店ができる前は商売はみんな路上で行われていた。道は人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話やものの売買や時には
喧嘩のための公共スペースだった。家の裏の小さな畑で出来た豆や
芋を町まで運んでいって
道端で売る。【3】売れたら、そのお金で、家では作れない野菜や道具類や
贅沢品を買って帰る。商売はこうして始まったのだ。
3. しかし、道で売っているものは時として信用できない。村の顔見知り同士ならともかく、大きな町で見知らぬ者からものを買うと、万一、それがインチキな品でも苦情を
持ち込む先がない。【4】今でも訪問
販売や
通販の類にはこの種の問題がつきまとっている。
4. 訪問と言えば、三十年前に見事な
詐欺にあったことがある(どうもぼくは
詐欺にひっかかりやすい性格らしい)。日曜日の昼ごろ、庭で草取りをしていると、
威勢のいい魚屋風の男がやってきて、道から声を
掛ける。【5】うなぎを買わんかと言うのだ。今と
違って
冷凍の
蒲焼がいつでも手に入るわけではなく、うなぎはなかなか
贅沢な食べ物だった。それが安い。たしかに安い。男は
垣根越しに、なぜ安いかという理由を、特別のルートとか何とか、言葉
巧みに話す。
5. 【6】日曜だからどこの家でも父親がいる。一つ奮発しようということになって、家族の数だけうなぎを買う。それから
御飯を
炊く算段になる。この時差が大事だ(保温式の
炊飯器はまだなかった)。買ってすぐに食べるものではこの話は成立しない。【7】一時間後、いよいよ白い
御飯がどんぶりに盛られて、蒸して温めたうなぎが乗り、タレがかかってみんなの前に並ぶ。子供たちはわくわくして
箸を取る。ところが、一口ほおばると、これがあなごなのだ。見た目はそっくりだが、味はだいぶ
違う。【8】あなごはあなごでうまい魚だけれども、うなぎに化けてはいけない。もちろん男は二度と来なかっ∵た。路上の取引には、いつもこのくらいのリスクがつきまとう。
6. 日本のように万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は
賑わっているし
信頼もされている。【9】イスタンブールでは子供たちが街頭に並んで、声を張り上げて
煙草を売っている。それがなぜか毎日のように品が変わる。ある日は全員がケントを売っている。次の日はそれがサムソンという国産ブランドに変わる。【0】トルコの子供たちはよく働く。寒風の中で鼻をすすりながら、サムソンサムソンサムソンと黄色い声で呼ぶのが、今でも聞こえる。
7. スーダンの
煙草の売り方はまた
違う。首都のハルトゥームは全体が
砂漠色にくすんだ町で、その広い
挨っぽい道の
脇に、
煙草屋は
黙って
坐っている。買うのはほとんど常連で、取引の単位は一本である。スーダンの人にとって
煙草は相当な
贅沢で、一度に一箱をまるごと買える者は少ない。だから、一本ずつ買う。朝、仕事にゆく
途中で一本買って、その場で吸う。マッチで火をつけるのは無料サービス。
煙草屋の周囲に立ったり
坐ったりして、本当においしそうに吸う。まわりにいい
匂いの
煙が
立ち込める。吸い終わると、元気に仕事に行く。お金に
余裕がある時には、昼にも一本買う。
8. まだ
禁煙していなかったぼくは、ある日、この
煙草屋から一箱買おうとした。橋を
渡ってオムドゥルマンの町までラクダ市を見に行くのに、道中で吸う分を持参するのだ。
9. 一度にたくさん売れば、簡単に
儲かるわけだから
煙草屋も喜ぶだろうと思ったのだが、それはみんなが
煙草代に困っていない国から来た者の、浅ましい考えだった。
10. ぼくは、一箱は売れないと言われた。つまり、この
煙草屋にしても、毎朝早く、その日に売る分だけを仕入れてくる。だから、ぼくが二十本も買ってしまうと、昼休みの一服を楽しみにしている
誰かの分が足りなくなる。事情を知ったぼくは、一本だけ買って、火をつけてもらい、ゆっくりとその場で吸って、橋に向かった。いい気持ちだった。
11. (「インパラは転ばない」
池澤夏樹より)