長文集  3月2週  ★イロリの社交は、家族結合の(感)  re-03-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 16:13:38
 【1】イロリの社交は、家族結合の社交で
あった。一家団欒ということばは言うまでも
なく家族がおなじ火をかこんでいることを指
した。ひとつの火を通じて心がかよいあう。
そういう不思議な力を火はもっていた。家族
だけではない。【2】客人もまた、おなじ火
をかこむことで、他人ではなくなる。火は人
間を近づけるのであ る。若者たちが夏の山
や海で火を燃やしてひらくファイヤー・スト
ームなども、まさしく火による人間結合の現
代的なあらわれのひとつであろう。
 【3】イロリの社交には、秩序があった。
よく知られているように、イロリの四辺には
誰がどうすわるかについての約束事がある。
土間に面していちばん奥の辺は横座である。
そこには戸主以外の人間がすわってはいけな
い。【4】横座からみて左がわの辺にすわる
のは主婦によって代表される家の女たちであ
る。この座席はカカ座などと呼ばれる。そし
て客人の席、すなわち客座は横座からみて 
右、横座の正面は使用人や場合によっては嫁
の座る下座――そんなふうに席の割りふりが
きまっていたのである。【5】こんにち、比
喩的に、たとえば「主婦の座」というような
ことばが使われるの は、このようなイロリ
の座の割りつけから延長されたものだと考え
てよいだろう。
 それぞれの座がきめられ、冬の夜などイロ
リをかこんで世間話がつづく。【6】火を共
有しているという事実が、そして、ときには
バチバチと音をたてて燃える炎が、いわばそ
の世間話の背景音のようなものになる。火は
、家庭の健在をしめす象徴なのでもあった。
 これとまったくおなじことが、西洋でも考
えられる。【7】かつてマーガレット・ミー
ドはフランス文化を論じて、フランス文化の
基本になっているモチーフはFoyerであ
るといった。このフォアイエというのは、一
家団欒を意味し、同時に火床(ひどこ)を意
味することばだ。【8】同一の火床(ひどこ
)ないしは暖炉を共有する家族の結合がかた
いのである。
 フランスだけではない。ヨーロッパやアメ
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リカの住宅で中流以上といういささかゆとり
のある家にはたいてい暖炉がある。【9】そ
して、こんにちでは、ちゃんと中央管理暖房
がゆきとどいているにもかかわらず、ときど
き暖炉に薪をくべて火の共有の事実を演出す
るのである。じっさい、イロリと暖炉はその
機能においてきわめて類似している。∵【0
】もちろん、火をまんなかにしてかこむイロ
リと火にむかって半月型にならぶ暖炉とでは
、社会構造は少し違うかもしれない。だが、
おなじ火のぬくもりと光を受けることのでき
る場を家庭の象徴とすることは、たぶん東西
共通なのである。
 火が人間を接近させ、親密さを強める効果
をもっていることをわれわれは直観的に知っ
ている。ラジオが大衆化したとき、アメリカ
の大統領F・ルーズベルトは、定期的な「炉
辺談話」番組で国民に親しく話しかけた。番
組の題名にある「炉辺」ということばだけで
大統領と国民はぐんとその距離を縮めること
ができたのだ。(中 略)
 火の共有による親密な人間関係は、調理の
火を考えてみればよくわかる。「同じ釜の飯
を食った」関係、というのは、遠慮のない親
しい関係ということだ。おなじ火で調理され
たものを飲食するというのは、暖房や照明の
火の共有よりもさらに深い共通感覚を人間た
ちに与える。
 カマドをわける、あるいは別火にするとい
うのは、人間のまじわりの単位をわける、と
いうことである。調理の火の共有、それは人
間をつなぐ基本的に重要な文化項目であった

 この点でも、日本文化はいろんな工夫を凝
らし、それに美的洗練をあたえつづけてきた
ように思える。たとえばさまざまな鍋料理。
それは、人間が共通の火で調理されたものを
わかちあうことで親密さをつくりあげてゆく
ためのすばらしい知恵であった。
 茶の湯もまた、ある意味で火の共有を象徴
する社交の形態であった。小さな風炉とカマ
、そこからまさしく茶の湯がうまれる。茶会
はおなじカマからつくられた、おなじ味覚を
共有する深い人間関係を形成してゆくのであ
る。暖房、照明、調理、それらは、いずれも
人間生活にとってきわめて実用的な火の機能
である。だが、人間はそういう実用性を超え
て、火を人間関係調整の手段としても展開さ
せてきたのであつた。火の管理はたんに物理
現象としての火を管理するというだけでなく
、その火をめぐる人間集団の管理をもふくむ
ものであった。

 (加藤秀俊「暮らしの思想」より)