長文集  2月2週  ★私の英語力はほとんど(感)  re-02-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】私の英語力はほとんど中学三年間の
教育に依拠している。高校時代に覚えた難し
い単語は記憶の彼方へ霧散してしまったし、
大学時代の英語教育はなきに等しかった。大
学にはLL教室があったけれども、テレビモ
ニターを相手におうむ返しに発声するという
行為の単純さと滑稽さには耐え難いものを感
じた。【2】現代小説を読むリーディングの
授業は他力本願で何も身につかなかった。一
番ひどかったのがアメリカ人講師による会話
のクラスだ。これにはどうしてもなじむこと
ができなかった。その主な理由は、講師の「
笑顔」にあった。【3】金髪の彼は、授業の
間中、表情豊かに微笑しつつ頻繁に学生たち
に語りかけていた。たいてい私はうつむい 
て、机の下で爪をいじったりしながらそれを
聞いていた。それがいけなかった。
 【4】視線を落として指先のあたりを見つ
めるのは「意識を集中して何かを聞く」とき
の私の定型ポーズにすぎないのに、彼にかか
ると、それは授業に対する「不満の表明」と
みなされる。しょっちゅう机の脇に来ては、
「何か問題がありますか?」「具合でも悪い
のですか?」と尋ねられてうっとうしいこと
この上ない。【5】私は無表情に首を振る。
「別に、何もありません」心の中では思って
いた。おかしくもないのにあなたみたいに笑
っちゃいられないわ よ。馬鹿じゃないんだ
から……。そうこうする間に私の英語力は息
絶えた。
 【6】それから十年以上が経った昨夏、女
子大生の語学研修に同行してアイオワ州のあ
る私大へ行った。私自身は英語のレッスンに
参加したわけではなかったけれども、ひと月
近く滞在するうちに、あちらの教授陣とかな
り緊密な付き合いをすることになった。【7
】なにしろ、朝昼晩の食事が一緒である。毎
日、レッスンの前後にあちこちへ案内され、
週末には自宅へ招待される。それはもう逃げ
場もなく英語攻めということでもあり、苦し
さ半分有り難さ半分といった日々。苦しさの
方は、言葉が頭の中に渦巻くばかりで口から
発射されないことだ。【8】だいたいすれ違
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うたびに見知らぬ人と挨拶を交わすという習
慣からして私にはつらい。にっこり笑って、
「ハーイ」というだけのことにどっと疲れて
しまう。∵
 有り難さの方は彼らのあふれるホスピタリ
ティに触れたことだ。【9】アルバイトの学
生から役付きの偉い教授までが、私の日常の
細やかな部分に気を遣ってくれる。立場が逆
だったら、こうまでは出来ない。「笑顔」で
ある。彼らは揃いも揃ってにこやかな人々だ
った。いつ会ってもキゲン良さそうに微笑ん
でいる。【0】ほとんど朝から晩まで笑って
いるのかと思うほどだ。もしかすると表情筋
が笑顔に固定されているのかもしれないとさ
え思った。陽気な奴らなんだ、きっと。笑顔
の民族なんだな。ある時私は見てしまったの
だ。今までにこやかに笑顔を振りまいていた
教授が、一人になったとたん、考え深げな、
どことなく徒労感の漂う表情に戻るのを。彼
はふと、まだ傍らに私がいるのに気づいたけ
れども、再び同じテンションの笑顔に持って
いくまでには驚くほど時間がかかった。その
時、彼らの笑顔が意識的な努力の賜物である
ことを私は悟った。
 彼らは実に意識的な人々だった。明快な価
値観を持ち、一瞬一瞬を選択し、行動に移す
。笑うべきだと思うから笑うということだ。
たとえ一番気が抜けるはずの家庭でさえ、意
志の力で支えていかなければあっという間に
瓦解するという厳しい認識が、日常の些細な
行為の背後にも痛いほどに感じられる。現実
は厳しく、それを乗り越えるためには強靭な
意志力と行動が必要なのだ。
 その厳しい現実の一つがきっと理解不可能
な他者の存在なのだろう。ひと月の間に、さ
まざまな場所でさまざまなアメリカ人とすれ
違ううちに、私は一つの妄想を抱くようにな
った。「向こうから知らない人が歩いてくる
。言葉は通じそうにない。何か誤解されたら
ナイフを突き付けられるかもしれない。ピス
トルだったら即死だ」そのような心理的風土
のもとでなら、過剰だろうがなんだろうが誤
解の余地もないほどに微笑んで敵意のないこ
とを相手に示そうとするだろう。相手もそう
するだろう。摩擦を起こさず、安心してくら
せる市民社会の、それがルールになるだろう

 ここにいたって、その昔、苦手だった英会
話のクラスで何が起こ∵っていたのか、私は
ようやく理解した気がするのだ。こういう国
から来た人ならば、うつむくばかりでコミュ
ニケーションの努力を怠った私には苛立った
はずだ。今思えば、彼もまた強靭な意志力に
よって精一杯私たちに微笑みかけていた。こ
ちらが無表情だった 分、彼の微笑みは過剰
になるのかもしれなかった。英語表現の基礎
は語彙でも構文でもなく、伝えようとする意
志、微笑むその姿勢だと教えていたのかもし
れなかった。
 アメリカ人は、あんなに毎日一生懸命に生
きていて疲れないのだろうか。