長文 2.1週
1.【二番目の長文が課題の長文です。】
2. 【1】どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜かいひん、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。【2】そこでまずかりに温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しくくわ  見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の形勝名所旧跡めいしょきゅうせきなどのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しくくわ  具体的な事が知りたくなって、今度は温泉専門の案内書を捜し出しさが だ て読んでみる。【3】そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細しょうさいな案内記を丁寧ていねいに読んでみたところで、結局ほんとうのところは自分で行って見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んでいればわざわざ出かける必要はないと言ってもいい。【4】次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人によってかなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調べた最後にはつまりいいかげんに、さいでも投げると同じような偶然ぐうぜん機縁きえんによって目的の地をどうにかきめるほかはない。
3. 【5】こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算いさんを生ずる心配が少ない。【6】そうして主要な名所旧跡めいしょきゅうせきをうっかり見落とす気づかいもない。
4. しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初からさいをふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然ぐうぜんに読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。【7】そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所旧跡めいしょきゅうせきなどのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。【8】これは危険の多いへテロドックスのやり方である。これはうっかり一般いっぱんの人にすすめる事のできかねるやり方である。
5. しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人∵の話が、いつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠しかく 耳をおおう。【9】それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自身は言わば行李こうりの中にでも押しこめお   られたような形になり、結局案内記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽きょうらくしたりすると同じような事になる、こういうふうになりたがるおそれがある。【0】もちろんこれは案内書や教えた人の罪ではない。
6. しかしそれでも結構であるという人がずいぶんある。そういう人はもちろんそれでよい。
7. しかしそれではわざわざ出て来たかいがないと考える人もある。曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んふ で、その見る景色踏むふ 大地と自分とが直接にぴったり触れ合うふ あ 時にのみ感じ得られる鋭いするど 感覚を味わわなければなんにもならないという人がある。こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避けさ たがる。便利と安全を買うために自分を売る事を恐れるおそ  からである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り出すほ だ 機会がある。

8.(寺田寅彦とらひこ「案内者」より)∵
9. 【1】現代はアイデンティティ不定の時代といわれている。私はなにものか。私は何をして生きていけばよいのか。どうすれば自分らしさを発見できるのか。これらの問いは青年期につきものだが、最近では、青年期に限らず、およそライフステージのどこにおいても、このような問いにつきまとわれることが多い。
10. 【2】近代社会は、前時代の共同性を解体させ、一人の個人がある具体的な共同体に属することの内的な意味を希薄きはく化させた。それが、私たちのアイデンティティ不定の大きな要因として関係している。【3】それは同時に、私たちの社会において「大人である」とか「大人になる」とかいうことが、何を指すのかがはっきりしないことをも意味する。
11. なぜならば、かつては、大人になることは、端的たんてきに、個人が自分の属すべき共同体の一員としての資格を得ることを意味していたからである。【4】共同体があるひとつの精神のもとに統一性を保っていれば、大人であることの意味はおのずから決まってきた。したがって大人になることは、その共同体のかくをなしている精神を心身両面において理解し、それを自分が生きていくための基本の型として承認することを意味していた。
12. 【5】よく知られているように、近代以前の社会には、それぞれの社会の要請ようせいに見合った何らかの通過儀礼ぎれいが存在した。子どもと大人はこの儀式ぎしきによってはっきりと分けられていた。【6】たとえば、わが国の武家社会における元服の儀式ぎしきは、それを最もよく象徴しょうちょうしている。一定の年齢ねんれいになると、男子は幼名をはい烏帽子えぼし名をつけ、服を改めて、かみを結いなおしたりさかやきを剃っす たりした。
13. 【7】ところが近代は、子どもから大人への変化期からこの単純な境目を取り払いと はら 、代わりに「教育課程」という、長い射程をもったシステムをあてがうことにした。いうまでもなく、学校制度がその機能を果たすことになったのである。
14. 【8】「教育課程」は、節目のはっきりしないたいへん間延びしたプロセスである。それは、人間はだんだんと段階的に成長していって大人になるものだというイメージを私たちのなかに知らず知らずのうちに植えつける。【9】近代の教育制度は、自分がどこで大人になったのかという自覚を曖昧あいまいなものにさせる効果を持っていたのである。
15. 一方では、いま述べた認識と一見矛盾むじゅんする次のようなこともいわれている。∵
16. 【0】近代以前には、子ども期と呼べるような時期は存在せず、子どもはみな小さな大人であった。幼児期をすぎると、ごく早い時期から子どもは大人の集団に仲間入りして、かれらの話や行動のなかから見よう見まねで大人社会の規範きはんやそのありさまを学び、明瞭めいりょうに問題化されることとひそやかに語られることとの区別などを身につけるようになっていった。(中略)
17. ところが近代になって、資本主義的生産が飛躍ひやく的な発展を遂げると  に従い、一人の生産者が複数の消費者を養えるようになると、「家族」が、一般いっぱん世間から明瞭めいりょう輪郭りんかくをもって成立するようになった。
18. この、一般いっぱん世間からの家族の明瞭めいりょうな自立が、年少の人々を内部に囲い込みかこ こ 、そこに子ども期と呼ベるような独立した時期を誕生させた。人間の成長・成熟にとって、家族生活の重要性が浮かび上がるう  あ  ようになった。(中略)
19. それまでは、子どもは生むにまかせ、大した配慮はいりょもなく育つにまかせていた。子どもは、家族の内側と外側のはっきりしない境界線を、早くから行き来していた。そして、親から身体的な意味で自立できるようになるごく早い年齢ねんれい段階から生産にかり出され、大人の世界に参加させられていた。
20. ところが、ある時期から、人々は、子どもをまさに子どもとして「大切に」あつかうようになった(あつかいが実質的に少なくなったのかどうかという判断の尺度にはならない)。フィリップ・アリエスのいう「十七世紀までは子どもは小さな大人にすぎなかった。子ども期は近代になって発見されたのだ」という有名なことばはそういう意味である。
21. したがって、両方の認識は矛盾むじゅんするのではなく、同じ一つのことを異なる二つの側面から観察したものと考えるべきだ。要するに、子どもと大人との間に単純に荒々しくあらあら  引かれていた境界線が取り払わと はら れ、それまでは半ばどうでもいいものとして無造作に考えられていた子どもが、もっと細心な視線を注がなければならない存在として、大人たちの意識のなかにクローズアップされてきたのである。そしてその結果、子ども期は、いくつかの段階を抱えかか 持ちつつ、次第に大人になってゆく、「過程的な」存在とみなされるに至ったのである。

22.(小浜(こはま 逸郎いつお「大人への条件」による)