レンギョウ の山 1 月 2 週 (5)
★農業は、きわめて恣意的な営みで(感)   池新  
 【1】農業は、きわめて恣意的な営みである。
 土を耕す仕事は自然と調和したエコロジカルな行為と一般には思われているようだが決してそうではない。恣意的、といって曖昧なら、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじ曲げる行為、といったらいい過ぎか。
 【2】だいたい、野菜、という概念からして人工的なものである。
 人は野草や山菜を採集する労苦と非能率を恨んで、採ってきた植物を住むところの近くに置いて管理しようと試みた。種を取って播き、みずからの意志によって自然を手なずけようとさえした。
 【3】人間の管理下に置かれたもののうち、栽培されることに甘んじた植物もあったし、断固としてそれを拒否し、野生の状態でなければ生育しないことを死をもって示した種もあったろう。
 食用になる野草山菜のうち、人の管理下での植栽が可能なものが「ベジタブル」と呼ばれる。【4】生長・増殖することが可能、という意味である。
 そればかりではない。品種の「改良」という名のもとに、人間は植物の姿かたちさえも自分たちの望む通りに変えてきた。根が食べたいと思えば、根を太くする。茎が固いと思えば、柔らかくする。
 【5】たとえばレタスとかキャベツとかいった、丸く結球する野菜を考えてみよう。
 これらの植物は、芽が出てからしばらくのようすを見ていればわかるが、最初はごくふつうの、それぞれの葉が外側に反りながら上に伸びていくかたちの青菜である。【6】それが、ある時点から、しだいに外側の葉が内側の葉を包むように巻きはじめる。
 この性質は、人間がつくったものである。
 葉が丸く内側に巻きはじめるのは、過剰な栄養のために過度に増えた葉がこみあって伸びる場所を失うからだ。【7】もちろん生体が想定し得る以上の栄養を与えることができるのは人間だけであり、そうして得られた結果――つまり、結球することによって内部は日光を遮断されて白く柔らかくなり、同時にひとつの固体の摂食可能な部分の体積が飛躍的に増える――を享受するのもまた人間なの∵だ。
 【8】私は、野菜のために土を耕しながら、ときどきそんなことを考えた。
 「文化」という言葉の語源は「耕す」という意味だと教えられ、そうであるとすれば土を耕す農業こそはまさしく文化的な営みだと納得するが、【9】しかしそれにしたところで、文化というのは人間が手をつけられないような荒々しい自然をなんとか馴化して管理下に置こうとする試みなのだ、と種明かしをすれば、それほどたいしたことをやっていないのはすぐにわかる。【0】人は自然界にある無限の音から人の耳に美しいと感じられる楽音だけを取り出して音楽をつくり自然界の無限の風景のうち気に入った部分だけを抽出して絵画に構成する。農耕も含めて、そうした「文化」的な営みの中においてだけ、人は自然を自分たちのコントロール下に置いたような気分になるのである。
 私たちの農作業は、「文化」からはほど遠いところにあった。
 九二年は、前述したように乾燥した暑い夏だった。
 九三年は、一転して雨ばかり降り続く寒い夏で、コメが大凶作に見舞われたことは記憶に新しい。私たちの畑でもブドウには病害が発生したし、トマトは降り続く雨にたたられてひどい減収、ジャガイモは掘り返す前に半分が土の中で腐った。
 そして九四年はまたまた予想を裏切る酷暑と旱魃のシーズンで、ブドウは辛くも枯死をまぬがれてなんとか収穫にまで至ったもののブルーベリーは熟しつつある実をつけたまま立ち枯れ、トウモロコシも皮を剥くと乾(ひ)からびた実があらわれた。そのため連日水やりに追われたが、地熱があまりにも高くそれこそ焼け石に水であった。トマトもピーマンも水不足で小さな表面の乾いた悲しい実しか実らせることができなかったし、秋になってようやく持ち直したと思ったら台風の風で倒された。
 まったく、自然を手なずけるどころか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。
 もちろん、その理由の大きな部分が私たちの技術や予測の未熟さ設備や投資の不足にあることは明白だが、しかし必要なソフトやハ∵ードをすベて兼ね備えているはずの周辺のプロの農家も結局はほとんど同じような被害に苦しんでいることを考えると、そもそも農業というのは、人間が自然に働きかけかなりの程度それを飼い慣らしたように見えて、実際には単に大きな自然界のほんの少々の「おあまり」をいただくくらいのことしかできないのだ、ということがわかってくる。
 畑仕事をはじめた最初の年には、抜いても抜いても生えてくる雑草と格闘しているうちに、「いったい、俺はなんでこんなことをしているのだろう」と自問することがしばしばあった。「こんな無駄なことにかかわっている時間に、もっとほかにやるベきことがあるのではないのか?」そう思ってイライラしたこともある。
 しかし、そんな過渡期の思いも、二年めに入るとしだいに消えていった。
 畑仕事は、いくら人間が焦っても、できないものはできない。われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた分だけを、ゆるゆるとすすめることしかできないのである。

(玉村豊男「種まく人」より)