長文 1.1週
1. 【1】ある書物がよい書物であるか、そうでないかを判断するために、普通ふつう私たちがやっていることはだれでも類似している。自分が比較的ひかくてき得意な項目こうもく、自分が体験などを総合してよく考えたこと、あるいは切実に思い患っわずら ていること、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。【2】よい書物であれば、きっとそういうことについて、よい記述がしてあるから、大体その箇所かしょで、書物の全体を占っうらな てもそれほど見当が外れることはない。
2. だが、自分の知識にも、体験にも、まったくかかわりのない書物に行きあたったときは、どう判断すればよいのだろうか。【3】それは、たぶん、書物に含まふく れている世界によって決められる。優れた書物には、どんな分野のものであっても小さな世界がある。その世界は書き手の持っている世界の縮尺のようなものである。【4】この縮尺には書き手が通りすぎてきた「山」や「谷」や、宿泊しゅくはくした「土地」や、出会った人や思い患っわずら 痕跡こんせきなどが、すべて豆粒まめつぶのように小さくなってめられている。どんな拡大鏡にかけてもこの「山」や「谷」や「土地」や「人」は目には見えないかもしれない。そう、事実それは見えない。見えない世界が含まふく れているかどうかを、どうやって知ることができるのだろうか。
3. 【5】もしひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ち止まって空想させ、また考え込まかんが こ せ、要するにここは文字のひと続きのように見えても、実は広場みたいなところだなと感じさせるものがあったら、それは小さな世界だと考えてよいのではないか。【6】この小さな世界は、知識にも体験にも理念にもかかわりがない。書き手が幾度いくども反復して立ち止まり、また戻りもど 、また歩き出し、そして思い患っわずら た場所なのだ。かれは、そういう小さな世界をつくり出すために、長い年月を棒にふった。【7】棒にふるだけの価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく棒にふってしまった。そこには書き手以外の人のかげも、隣人りんじんもいなかった。また、どういう道もついていなかった。行きつ戻りもど つしたために、そこだけが踏みふ 固められて広場のようになってしまった。【8】実際は広場というようなものではなく、ただの踏みふ 溜りたま でしかないほど小さな場所で、そこから先に道がついているわけでもない。たぶん、書き手ひ∵とりがやっとこしを下ろせるくらいの小さな場所にしかすぎない。【9】けれどもそれは世界なのだ。そういう場所に行きあたった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、書き手をつかまえたことになるのだ。
4. 私は、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。【0】心の中に奇怪きかいな観念が横行してどうしようもなく持て余していた少年の晩期のころ、しゃべることがどうしても他者に通じないという感じに悩まさなや  れた。この思いは、極端きょくたんになるばかりであった。この感じは外にもあらわれるようになった。父親は、お前このごろ覇気はきがなくなったと言うようになった。過剰かじょうな観念をどう扱っあつか てよいかわからず、しゃべることは、自分をあらわしえないということに思い患っわずら ていたので、覇気はきがなくなったのは当然であった。われながら青年になりかかるころの素直な言動がないことを認めざるをえなかった。今思えば、「若さ」というものは、まさしくそういうことなのだ。他者にすぐわかるように外に出せる覇気はきなど、どうせ、たいした覇気はきではない、と断言できるが、そのとき、そう言いきるだけの自信はなかった。そうして、しゃべることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。
5. 私の読書は、出発点で何に向かって読んだのだろうか。たぶん自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめたのである。自分の思い患っわずら ていることを代弁してくれていて、しかも、自分の同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物の中に、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。