長文集  1月1週  ある書物がよい書物であるか  re-01-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:08:29
 【1】ある書物がよい書物であるか、そう
でないかを判断するために、普通私たちがや
っていることは誰でも類似している。自分が
比較的得意な項目、自分が体験などを総合し
てよく考えたこと、あるいは切実に思い患っ
ていること、などについて、その書物がどう
書いているかを、拾って読んでみればよい。
【2】よい書物であれば、きっとそういうこ
とについて、よい記述がしてあるから、大体
その箇所で、書物の全体を占ってもそれほど
見当が外れることはない。
 だが、自分の知識にも、体験にも、まった
くかかわりのない書物に行きあたったときは
、どう判断すればよいのだろうか。【3】そ
れは、たぶん、書物に含まれている世界によ
って決められる。優れた書物には、どんな分
野のものであっても小さな世界がある。その
世界は書き手の持っている世界の縮尺のよう
なものである。【4】この縮尺には書き手が
通りすぎてきた「山」や「谷」や、宿泊した
「土地」や、出会った人や思い患った痕跡な
どが、すべて豆粒のように小さくなって籠(
こ)められている。どんな拡大鏡にかけても
この「山」や「谷」や「土地」や「人」は目
には見えないかもしれない。そう、事実それ
は見えない。見えない世界が含まれているか
どうかを、どうやって知ることができるのだ
ろうか。
 【5】もしひとつの書物を読んで、読み手
を引きずり、また休ませ、立ち止まって空想
させ、また考え込ませ、要するにここは文字
のひと続きのように見えても、実は広場みた
いなところだなと感じさせるものがあったら
、それは小さな世界だと考えてよいのではな
いか。【6】この小さな世界は、知識にも体
験にも理念にもかかわりがない。書き手が幾
度も反復して立ち止まり、また戻り、また歩
き出し、そして思い患った場所なのだ。彼は
、そういう小さな世界をつくり出すために、
長い年月を棒にふった。【7】棒にふるだけ
の価値があるかどうかもわからずに、どうし
ようもなく棒にふってしまった。そこには書
き手以外の人の影も、隣人もいなかった。ま
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た、どういう道もついていなかった。行きつ
戻りつしたために、そこだけが踏み固められ
て広場のようになってしまった。【8】実際
は広場というようなものではなく、ただの踏
み溜りでしかないほど小さな場所で、そこか
ら先に道がついているわけでもない。たぶ 
ん、書き手ひ∵とりがやっと腰を下ろせるく
らいの小さな場所にしかすぎない。【9】け
れどもそれは世界なのだ。そういう場所に行
きあたった読み手は、ひとつひとつの言葉、
何行かの文章にわからないところがあっても
、書き手をつかまえたことになるのだ。
 私は、なぜ文章を書くようになったかを考
えてみる。【0】心の中に奇怪な観念が横行
してどうしようもなく持て余していた少年の
晩期のころ、しゃべることがどうしても他者
に通じないという感じに悩まされた。この思
いは、極端になるばかりであった。この感じ
は外にもあらわれるようになった。父親は、
お前このごろ覇気がなくなったと言うように
なった。過剰な観念をどう扱ってよいかわか
らず、しゃべることは、自分をあらわしえな
いということに思い患っていたので、覇気が
なくなったのは当然であった。われながら青
年になりかかるころの素直な言動がないこと
を認めざるをえなかった。今思えば、「若さ
」というものは、まさしくそういうことなの
だ。他者にすぐわかるように外に出せる覇気
など、どうせ、たいした覇気ではない、と断
言できるが、そのとき、そう言いきるだけの
自信はなかった。そうして、しゃべることへ
の不信から、書くことを覚えるようになった
。それは同時に読むようになったことを意味
している。
 私の読書は、出発点で何に向かって読んだ
のだろうか。たぶん自分自身を探しに出かけ
るというモチーフで読みはじめたのである。
自分の思い患っていることを代弁してくれて
いて、しかも、自分の同類のようなものを探
しあてたいという願望でいっぱいであった。
すると書物の中に、あるときは登場人物とし
て、あるときは書き手として、同類がたくさ
んいたのである。