長文集  6月2週  ★先日、ある文科系の先生から(感)  ra2-06-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】先日、ある文科系の先生から、次の
ような趣旨の質問をいただいた。「脳科学の
研究者たちは、いつでも細かい神経生理の最
新知見を上げ、『このようにひとつひとつ明
らかにしてゆくことによっていずれは脳の生
み出すさまざまな現象を解明できるだろう』
といいますね。【2】彼らの言葉は決まって
『いずれ』『だろう』です。しかし本当にそ
うなのでしょうか? 臨死体験が脳の虚血の
反応だというのは一見納得しやすい意見です
。しかし問題はもっと根本的なところ、つま
りなぜ臨死体験するのかというところにある
のではありませんか? 【3】脳について考
えるときは、還元論的な手法だけでなく、哲
学のような包括的なアプローチを用いること
も重要なのではありませんか?」
 このような意見はもっともであり、いわゆ
る「科学的手法」で生命現象を解明してゆく
ことの難しさを端的に表していると思う。
 【4】いくら神経細胞を観察し、記憶の形
成メカニズムを調べたところで、「なぜヒト
に『心』が存在するのか」という問いに答え
ることはできない。同様に、DNAを詳細に
解析したとしても、「ヒトとは何か」という
漠然とした巨大な問いに明快な答えを出すこ
となど不可能だろう。【5】だがこれをもっ
て科学的手法の限界を説くのは誤りである。
 多くの人は、「科学」に対して過度な期待
を持っているようである。科学者に対し、「
全てを科学で説明してみろ。ほら、できない
ではないか。世の中には科学で説明できない
ものもあるのだ。【6】科学は万能ではない
のだ」というのは間違っている。このような
言い方の裏には科学に対する妄信的な信奉と
、それへの嫉妬があ る。科学は信仰の対象
ではない。
 しかしこれならわかりやすい。厄介なのは
逆の方向から科学を狭めようとする動きが広
まりつつあることだ。【7】識者やマスコミ
はオウム真理教事件や擬似科学本の流行など
といったいまの状況をひとつにくくり、「科
学的」なものの見方が弱まっていることを嘆
き、科学者たちが脆弱になっているのではな
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いかと憂いている。【8】だがここで「識者
」が口にする「科学的」という言葉は、感∵
情を一切排した厳密性に対する理想と憧れを
漠然と指しているに過ぎないような気がする
。そして、不思議なのは、科学者たちまでも
がその罠にはまり、自らに枷をつけようとし
ていることだ。
 【9】私が思うに、科学とは「信仰」とい
う名の魔法でもなければ「厳密性」といった
堅苦しいものでもない。この世に存在する無
数の「驚異」に対するひとつのアプローチの
仕方なのである。特に生命科学は、目の前に
ある生命現象を「理解」したいという単純な
欲求から始まっている。【0】驚きを驚きと
して認めた後、その驚異を理性的に考え、理
解しようと努める姿勢こそが科学なのであ 
り、その意味において人文社会系もいわゆる
「理科系」の科学と等しく科学なのである。
 文学や哲学、宗教学は決して科学と相反し
ない。例えば「文学は人間を描くもの」とは
よくいわれるフレーズだが、科学もまた人間
や自然を対象にしていることを決して忘れて
はならないと思う。生命科学の論文は、文学
と等しく「人間を描いている」はずであり、
またそうでなければならないと私は考えるの
だがどうだろうか。

 (瀬名秀明の文章から)