長文 6.1週
1. 【1】お金くらい、変なものはない。なぜなら、本来どうして交換こうかん可能かと思われるような対象が、お金を媒介ばいかいにすれば、平気で交換こうかんされてしまうからである。
2. 私が大学で働くと、ただいまのところ、一カ月に手取りで四十数万円下さる。【2】ただし、その金額の算定根拠こんきょは、私にとっては不明である。おそらくだれにとっても不明であろう。なぜなら、働いても働かなくても、ほぼ同じくらいの額をかならず下さるからである。もっとも、それが、官庁の取り柄と えといえば取り柄と えである。
3. 【3】そもそもお金は、なぜ交換こうかん媒体ばいたいになりうるのか。それは、ヒトの脳がそうできているからである。脳という臓器は、その内部で、もともとはとうてい交換こうかん不能なものを、強引に交換こうかんしてしまう。たとえば、目から入る刺激しげきは、物理学的にいえば電磁波だが、脳はそれを、音つまり空気の振動しんどうと等価交換こうかんする。【4】それが、視覚言語と音声言語である。「あ」という形に発する、電磁波の信号が、「ア」という音と等価に交換こうかんされる根拠こんきょは、脳がそれを実際に等価交換こうかんしているはずだ、という事実以外にない。脳は、そのいずれをも、神経細胞さいぼうの信号に変換へんかんする。【5】だから、音と光とではなく、信号と信号とで、交換こうかんが可能になる。お金はじつは、その信号が、いわば単に外界に出たものに過ぎない。ヒトは、自分の脳を、外部に「投射する」のである。(中略)
4. 【6】現代はシミュレーション社会だとか、擬似ぎじ現実の社会だとかいうが、それは、現代社会が、身体というより、脳に似てきていることを示している。つまり、脳の中では、すべては擬似ぎじ現実であり、すべてはシミュレーションだからである。【7】その象徴しょうちょうがお金であって、現代社会が、お金を中心に動くような気がするのは、倫理りんり観が変化したからではない。社会が脳に似てきたためである。
5. 現代社会は、要するに、より抽象ちゅうしょう度の高い世界である。【8】いまの人間が、身体と頭のどっちを余計に使うかといったら、多くの人が、そうとは意識せずに、頭の方を昔より余分に使っているであろう。∵
6. テレビを見るという一見単純な行為こういですら、頭を使わなくては出来ない。手足を使って、テレビを見るわけには行かない。【9】受験戦争が大変だというが、以前よりは頭を使わなくては、生きていけない社会を作ってしまったから、仕方がない。
7. ボケの問題が深刻になるのも、頭の重要性が増したからである。昔は、カマドに火をつけた上で、その事実をすっかり忘れても、同時にたきぎを加えることも忘れてしまう以上、火が燃え続けることはなかった。【0】しかし、いまではいったんガスに火をつけたら、消すという操作を加えるまでは、ガスが燃え続けることになる。だからボケが大変なのである。
8. お金の問題とは、私からすれば、典型的な「信号問題」である。お金を現実と思っている人は、そうは思わないかもしれないが、それは、自分の手元、つまりお金の動きの末端まったんだけに注目するからである。それは脳の場合も同じであって、感覚だけに注目すれば、現に感じられる以上、すべては現実だということになる。しかし、感覚だって信号としていったん脳の中に入ってしまえば、あとは「八幡やはたやぶ知らず(入ると出口がわからなくなるやぶ)」である。
9. 信号の問題点は、その意味で、途中とちゅうから現実がどこかに飛んでしまうことである。お金がお金を生んだりするのは、脳の中で信号が増幅ぞうふくされるのと同じであろう。脳の中で極端きょくたんに信号が増幅ぞうふくされる病が癲癇てんかん(てんかん)である。現代社会における、お金の増幅ぞうふくは、ほとんど癲癇てんかん前駆症状ぜんくしょうじょうに似ている。ドストエフスキーを読めばわかるが、軽い癲癇てんかんは、天国にいるような恍惚こうこつ状態を感じさせることがある。株で賭けか たり、土地で儲けもう たりすれは、恍惚こうこつ状態になる人も多いのではないか。
10. お金の動きそのものが脳の中の信号の動きによく似ているので、たかがお金の動きに関する議論が、ときどき哲学てつがくや神学の議論に近くなるのであろう。こうした学問は、「ことば」という脳内の信号間の関係を、その信号そのものを使って講論する。際限なくモメるのは、そのせいである。

11. (養老孟司たけし涼しいすず  脳味噌のうみそ』より)