長文集  5月1週  ★人間とはなにか(感)  ra2-05-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人間とはなにか、この僕の問いにヒ
ントを与えてくれたのは哲学者の梅本克己だ
った。彼の『過渡期の意識』という本の冒頭
に次のような短い一節があった。
 「人間そのものが一つの過渡である……」
(『過渡期の意識』現代思潮社)
 この世界に、完成した人間などはいない。
【2】人はつねに未完成であり、過渡期の人
間として生きている。ところが、僕たちは、
自分が未完成であり、過渡期の人間だという
ことを、しばしば忘れてしまう。もし自分が
過渡期の人間であることを自覚していれば、
僕たちは自分の知らないもっと素晴らしいも
のを探そうとするだろう。【3】そうして世
界のなりゆきに感動したり、怒ったり、探し
ていたものを発見したりすることができるだ
ろう。(中略)
 考えてみれば、人間が過渡期の人間でしか
ないように、社会もまたつねに過渡期の社会
なのだと思う。どんな社会であっても未完成
なはずだ。【4】とすればいまの自分に満足
したり、いまの自分に居直ったり、いまの社
会を肯定したり、いまの社会が永遠につづく
と思ったりすることはできない。より素晴ら
しいものを探して、いまの自分のあり方やい
まの社会を批判しつづける人間の方が、正し
い生き方をしているはずだ。
 【5】ところで人にとっての過渡期とは何
なのだろう。楠本はこの本のなかでこういっ
ているのだと思う。本当は人間は自分でも気
付いていないような素晴らしい力をもち、も
っと素晴らしい生き方ができるはずなのに、
いまの社会ではそれができない。【6】それ
なら本当の人間の力を、本当の人間の生き方
を取り戻そうではないか。もちろんそのため
には社会も変革しなければいけないし、多く
の困難も待ちかまえているだろう。だが人間
にはそれだけのことをなしとげる力があるは
ずだ。【7】つまり梅本克己は、本当の人間
の生き方を取り戻していく人間として、現代
の人たちは過渡期の人間だといっているのだ
と思う。
 『過渡期の意識』のなかには、次のような
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一節もある。「喪失せられたものを取り戻す
……」。そう、いまの僕たちはいろいろなも
∵のを失っているのだと思う。【8】世界の
なりゆきに驚嘆する能力も、本当に感動した
り、怒ったり、より素晴らしい生き方を探し
ていろいろなことに挑戦していく精神も、僕
たちが小さな俗事にとらわれている間にいつ
のまにか失ってしまったような気がする。僕
たちはそれらを取り戻さなければいけないん
だ。
 【9】人間はつねに過渡期の人間であると
梅本はいった。しかしこのことを自覚しつづ
けて生きることは大変なことだと思う。なぜ
ならそれは失ったものを取り戻そうとする行
動とともにあるから だ。
 哲学は知識でも学問でもない。【0】過渡
期の人間が新しい一歩をふみだそうとする行
動のなかにあるのだと思う。
 〈『哲学ノート』五章 終わり〉
 
 「哲学ノート五章」を書き終えた頃、僕は
自分が哲学の深みにはまっていくのを感じて
いた。哲学は知識ではないと痛切に思った。
哲学はつねに未来に向かって開かれている。
そういってしまえば簡単なのだけれど、哲学
はこれからの僕の生き方そのもののようだ。
哲学を学ぶということは、自分自身を自己変
革していくことだと僕は思った。
 といっても三木清もいっているように、人
間は環境のなかの動物だ。自分自身を自己変
革するためには、環境、つまり社会を変革し
ていかなければいけないことはしばしばある
だろう。自分を自己変革しながら社会をも変
革する、また社会を変革しながら自分をも自
己変革する、そうやって美しい人間の生き方
と、美しく生きることのできる社会をつくっ
ていこうとするとき、哲学はつくりだされる
のだと思った。

 (内山節『哲学の冒険』より)