長文集  4月3週  ★人間が「物」を造るには(感)  ra2-04-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人間が「物」を造るには、必ず「手
」を使う。手によって物の形を変える。そこ
に、われわれの役に立つ物ができ上がる。あ
る場合には、でき上がった物自身を道具とし
てさらに別の物が造り出される。それがまた
道具となる場合さえある。【2】道具が複雑
化すれば機械となる。そしてわれわれの手に
よって直接造り得る物とは比較にならぬほど
大きなもの、精巧なものが機械によって容易
に造り出されるのである。(中略)
 ところが、物の形を変えて新しい物を造る
という仕事には、もう一つの不可欠の要素が
ある。【3】それは言うまでもなく、物を動
かすのに要する「力」である。手の指先の器
用さと同時に、腕の筋肉の力が必要であった
のである。それぞれの機械になんらかの形で
動力が補給されねばならない。それはあるい
は蒸気の膨脹する力であり、ガスの爆発の力
であり、電気の力であった。【4】しかしな
がら力自身は本来形のないものである。ただ
それが形のある物に伴っているが故に、われ
われはこれを制御し得たのである。高所から
落ちてきた水自身が運動のエネルギーを持っ
ていたが故に、それを電力に変えることが可
能であった。【5】電力そのものもまた、そ
れが「針金」という固体の中を流れる電流と
いう形において初めて人間の手で操り得たの
である。空間を伝わる電波はアンテナによっ
て捕らえられて初めて有用となるのである。
 【6】このようにして人間がいろいろな形
の力を利用して、さまざまな物を造り出すに
当たって、直接相手としているのは、常に固
体または固体の連結したものとしての機械で
あり器具である。しからばそれらを造り出す
材料となっている物自身は、一体どこから得
たのであるか。
 【7】それはなんらかの形で初めからそこ
にあったのである。人間のいるといないとに
かかわらず、自然物として存在していたので
ある。物を造るのに必要な動力はどこから出
てきたのであろうか。それももちろん、自然
が本来持っていた力以外の何物でもない。【
8】げんに自然自身がわれわれの存在すると
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否とにかかわらず、自分自身の中に包蔵する
力によって、不断にその姿を変えつつあるの
である。山上の土は絶えず雨水によって平地
へ運ばれているのである。動物や植物が数限
りなくできてはなくなっていくのである。【
9】この休止することを知らぬ自然自身は、
一体誰が造ったものであるか。造り手の姿は
どこにも見えないが、人間との類推によって
造物者を∵想像することは勝手である。しか
し造物者は人間のように「手」をもって物を
造りはしないのである。【0】特別な道具、
特別な機械を使うのではないのである。文字
通り自然に物の姿が変わり、物ができ上がっ
ていくのである。人間自身の肉体もまた目標
の所産として、道具を使わずして造られたも
のである。肉体の一部であるところの手自身
は、けっして固体としての道具ではないので
ある。
 造物者が手を使わなかったとするならば、
そのかわりに使った物は何であったか。人間
との類推によって造物者の心を想像すること
も勝手である。その心はしかし人間よりもは
るかに理性的なものである。自然は自分自身
の規則を持っている。そしてそれから逸脱し
たふるまいをすることはけっしてないのであ
る。自然力の発現、自然の姿の変化は、すべ
て自然が自ら定めた規律に忠実である結果と
して生まれてきたものである。造物者は他を
動かす「手」を持たない、造物者自らの「心
」に従って自ら変化していくのである。
 しからば造物者の心は何によって知り得る
であろうか。人間の心は果たしてなんらかの
仕方でこれと共感し得るのであろうか。これ
に対して解答を与えるものは「科学」である
。科学はげんに自然自身が遵奉しているさま
ざまな規則を見つけ出しているのである。い
かなる方法によってこれを見つけ出したので
あるか。あたかも目に見える顔形を通じてそ
の人の心を察し得るがごとく、目に見える自
然の姿を通じて造物者の心を察し得たのであ
る。物を造るのに「 手」が必要であったの
と同じ程度において、物を知るには「目」が
必要であった。しかしながら目が単なる肉眼
に止まっている間は自然の表層しか見ること
ができなかった。顕微鏡が発見され、エック
ス線発生装置が考案され、それによって肉眼
が補強されて、初めて自然の本当の心を見抜
くことができたのである。ところがそれらは
また、すべて人間の手によって造り出された
「機械」であった。ここでも機械が人間と自
然とを結ぶほとんど唯一の通路として横たわ
っているのを見出だすのである。しかしそれ
はけっして孤立しているのではない。形ある
物としての機械の背後には目に見えない自然
力があり、物も力も不動の自然法則に従って
変化していくものであることを忘れてはなら
ないのである。

 (湯川秀樹『目と手と心』による)