ヌルデ2 の山 12 月 4 週 (5)
○一番わかりやすいのは(感)   池新  
 【1】一番わかりやすいのは、スズメバチと熊の関係である。スズメバチにとって熊は天敵だ。せっかく築いた巣を壊し、中の蜂蜜やら幼虫を台無しにしてしまう。【2】スズメバチ自体は、強力な社会性と毒による攻撃力をもっているため、実質的な天敵は熊以外には見当たらない。巣を破壊するといった無謀な行動を起こすのは熊くらいのものだ。【3】スズメバチとその唯一の天敵である熊との攻防は、おそらく何十万年以上ものあいだ続いているため、スズメバチは熊のような黒っぽい体色に対しては、攻撃をしかける習性が選択されたらしい。【4】山菜採りに行った黒っぽい服装の人や頭の黒い人間がスズメバチに襲われるのは、その習性のためというのがもっぱらの説だ。造成地では人間がブルドーザーでスズメバチの巣を破壊しているが、せいぜいこの四〇〜五〇年のことだ。【5】スズメバチがブルドーザーを目掛けて攻撃するといった習性を獲得するには、何万年もの時間が必要であるに違いない。
 【6】スズメバチと熊の例を見て「異種の動物のコミュニケーションにおいて色に意味がある」と気づいたのは、人間が熊と見誤られて実際に襲われているからである。もしそうでなければ、そのような関係性にはまったく気がつかなかったかもしれない。【7】仮にスズメバチが熊を攻撃しているのを目撃しても、スズメバチの巣を壊した熊が襲われているのだろうとしか見えないだろう。【8】スズメバチが人間を襲うといった、本来の行動とは違う誤った行動をかいま見せることにより、われわれはその特殊な関係性にはじめて気づかされる。
 【9】おそらく、この広い地球上には生物種同士の攻防に「色が重要な意味をもつ」例が山ほどあるに違いない。ただ、人間がそのような局地紛争には気がついていないだけだ。色のもつ意味は、動物のライフスタイルによってまったく異なる可能性がある。【0】この点については、残念ながらわれわれはどのような工夫をしても、その実∵体を知るのは難しいだろう。
 一方、スズメバチにとっての熊の体色のような特別な関係を意味する色とは異なり、警戒色や目玉模様はかなり普遍的な信号として、広範に使われているものと推測される。ただし、その信号を受信する側が、本能的にそれを避けるのか、学習によって学んでいるのかは、ケース・バイ・ケースの(場合による)ように思われる。有毒なジャコウアゲハは真っ黒な翅(つばさ)に赤いスポットを見せびらかすかのごとくゆっくりと飛ぶ。天敵である鳥は、いとも簡単に捕まえて食べることができるが、そのまずさに懲りて二度とこのような紋様をしたチョウを食べなくなる。つまり、味と紋様という二つの形質を学習によって結びつけるという過程を経て、警戒色は成立している。この場合、死なない程度の毒だからこそ、経験が生かされ学習が成立している。では警戒色のすべてがこのような学習によって成立しているのだろうか? もし、そうだとするならば、警戒色や目玉模様は、学習能力がある程度高い捕食者、脊椎動物、つまり、哺乳類、鳥、爬虫類、両生類、魚類などに向けたシグナルなのだろう。
 しかし、強力な毒をもつ有毒の蛇が見せる警戒色などは、捕食者に学習する余裕はない。かまれてしまったら一巻(かん)の終わりだ。ひょっとしたら、捕食者は本能的に蛇を避けるように遺伝子に書きこまれている場合もあるかもしれない。被食者の警戒色は痛い目にあわないとわからないシグナルなのか? 遺伝子の中に刷りこまれている記憶なのか? 私が蛇ぎらいである理由や記憶をたどってみてもよくわからない。

 (藤原晴彦『似せてだます擬態の不思議な世界』(化学同人))