1. 【1】「自分」というものに「気がついた」感じになった日のことは、くっきり覚えている。十
歳のある日だ。前後の
記憶はなく、その
瞬間の
情景だけが――日差しや風の
吹き具合なども
含めて―― 一
枚の絵はがきのように心に残っている。
2. 【2】学校の昼休みだった。教室のはずれに
廊下から校庭におりる五、六
段の
階段があり、わたしはそこに一人で
坐っていた。
3. よく晴れた日で、おでこのあたりが、ぽかぽか
暖かい。【3】食後で、
お腹もちょうどよく満ち足りており、
階段の木目の
肌ざわりも心地よい。いつもなら友だちと、わいわいガヤガヤやっている時間なのだが、その日はなぜか一人だった。
4. 【4】校庭で遊んでいる友だちの
姿を目で追いながら、「ひとりでいる」ことにも満足している。(みんな元気にやっているな、よしよし)と、すこし、オトナになったような感じとでもいったらいいだろうか。
5. 【5】そんな、ひなたぼっこの気分でぼんやりしているときだった。
6. (あれ? あれあれ? こりゃなんだ?)
7. いままで感じたことのないようなヘンな気分が、わき出てくるではないか。【6】あたりの
喧騒が、すーっと遠のき、シンとしてしまった。友だちの
姿は
確かにあそこにあるのに
現実感がない。豆つぶのようにチラチラしているだけだ。
8. (なんだなんだ、いったいどうなっちゃったのだ!)
9. 【7】外側は、くつろいだ
姿勢のまま、心の中は
驚いてあわてふためいている。
心臓がドキドキして大
騒動だ。なにがなんだか
判らず、じっと
凍ったままでいるうちに、まるで自分の中の何かが一
枚はがれたように、(あ、そうか!)と感じた。【8】わたしというのは、わたし一人しかいないんだ。
10. 書いてみれば身もフタもない。が、なんとも
奇妙な「
了解」があった。ややこしくなるのを
恐れずに、そのときの気分を、ずらずら
述べてみると……
11. 【9】(わたしのことを「わたし」と感じることが出来るのは、このわたししかいない。今まで、どれだけ
沢山のいきものが生まれ、死∵んでいったか。これから、どれだけ
沢山のいきものが生まれ、死んでいくか。
12. 【0】いきものという
大河が、太古と未来を
貫いて、ごうごうと流れており、本日ただいまも――こうして、わたしが学校の
階段に
坐っているこの時も――世界中に数知れないいきものが、満ちており、わたしはその中の、ほんとにちっぽけな
存在だ。
13. しかし、しかしである。ちっぽけではあるが、この、ここにいる直子を「わたし」と思えるのは、わたしだけじゃないか。この直子を「わたし」と思える、という
事態は大昔まで
遡っても、いちどもなかったし、今後どれだけいきものの歴史が続こうとも、もう二度とない。
14. つまり、「直子=わたし」という
状態は、この世では「まったくく初めて」の出来事なのだ! 「じつに特別」なことなのだ! こりゃすごい)というわけである。いわゆる「
自己の発見」的な芽が出たときだったらしい。
15. その後しばしば、あの
瞬間を思いだした。そして、直子という「にんげん」が、ほかならぬ「わたし」であることを不思議に思ったり、「わたし」を
無視するかのように、直子という「にんげん」が
沢山登場し、勝手に
振る舞って(と思えて)、ヤキモキしたり
腹を立てたりした。(こんな直子は「わたし」じゃない)と。
16. そのヤキモキ
状態が極まったのが十代だった気がする。――そう、これも十代の
特徴なのだろう。つまりは、直子と「わたし」のバランスがうまくとれないことだったようだ。
17.(
工藤直子「出会いと物語」より)(原作を一部手直ししてあります)