長文集  12月3週  ★「自分」というものに(感)  nu2-12-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】「自分」というものに「気がついた
」感じになった日のことは、くっきり覚えて
いる。十歳のある日だ。前後の記憶はなく、
その瞬間の情景だけが――日差しや風の吹き
具合なども含めて―― 一枚の絵はがきのよ
うに心に残っている。
 【2】学校の昼休みだった。教室のはずれ
に廊下から校庭におりる五、六段の階段があ
り、わたしはそこに一人で坐っていた。
 よく晴れた日で、おでこのあたりが、ぽか
ぽか暖かい。【3】食後で、お腹もちょうど
よく満ち足りており、階段の木目の肌ざわり
も心地よい。いつもなら友だちと、わいわい
ガヤガヤやっている時間なのだが、その日は
なぜか一人だった。
 【4】校庭で遊んでいる友だちの姿を目で
追いながら、「ひとりでいる」ことにも満足
している。(みんな元気にやっているな、よ
しよし)と、すこし、オトナになったような
感じとでもいったらいいだろうか。
 【5】そんな、ひなたぼっこの気分でぼん
やりしているときだった。
 (あれ? あれあれ? こりゃなんだ?)
 いままで感じたことのないようなヘンな気
分が、わき出てくるではないか。【6】あた
りの喧騒が、すーっと遠のき、シンとしてし
まった。友だちの姿は確かにあそこにあるの
に現実感がない。豆つぶのようにチラチラし
ているだけだ。
 (なんだなんだ、いったいどうなっちゃっ
たのだ!)
 【7】外側は、くつろいだ姿勢のまま、心
の中は驚いてあわてふためいている。心臓が
ドキドキして大騒動だ。なにがなんだか判ら
ず、じっと凍ったままでいるうちに、まるで
自分の中の何かが一枚はがれたように、(あ
、そうか!)と感じた。【8】わたしという
のは、わたし一人しかいないんだ。
 書いてみれば身もフタもない。が、なんと
も奇妙な「了解」があった。ややこしくなる
のを恐れずに、そのときの気分を、ずらずら
述べてみると……
 【9】(わたしのことを「わたし」と感じ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
ることが出来るのは、このわたししかいない
。今まで、どれだけ沢山のいきものが生ま 
れ、死∵んでいったか。これから、どれだけ
沢山のいきものが生まれ、死んでいくか。
 【0】いきものという大河が、太古と未来
を貫いて、ごうごうと流れており、本日ただ
いまも――こうして、わたしが学校の階段に
坐っているこの時も――世界中に数知れない
いきものが、満ちており、わたしはその中の
、ほんとにちっぽけな存在だ。
 しかし、しかしである。ちっぽけではある
が、この、ここにいる直子を「わたし」と思
えるのは、わたしだけじゃないか。この直子
を「わたし」と思える、という事態は大昔ま
で遡っても、いちどもなかったし、今後どれ
だけいきものの歴史が続こうとも、もう二度
とない。
 つまり、「直子=わたし」という状態は、
この世では「まったくく初めて」の出来事な
のだ! 「じつに特別」なことなのだ! こ
りゃすごい)というわけである。いわゆる「
自己の発見」的な芽が出たときだったらしい

 その後しばしば、あの瞬間を思いだした。
そして、直子という「にんげん」が、ほかな
らぬ「わたし」であることを不思議に思った
り、「わたし」を無視するかのように、直子
という「にんげん」が沢山登場し、勝手に振
る舞って(と思えて)、ヤキモキしたり腹を
立てたりした。(こんな直子は「わたし」じ
ゃない)と。
 そのヤキモキ状態が極まったのが十代だっ
た気がする。――そ う、これも十代の特徴
なのだろう。つまりは、直子と「わたし」の
バランスがうまくとれないことだったようだ


(工藤直子「出会いと物語」より)(原作を
一部手直ししてあります)