長文集  12月2週  ★電車のなかや教室などで(感)  nu2-12-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】電車のなかや教室などで、手もあて
ずに平気で大きなあくびをする人がふえてい
る。電車のなかの携帯電話、お化粧、爪切 
り、飛行機のなかのマニキュアなど。
 【2】「夜中にアパートであついシャワー
をあびる」「深夜も好きな音楽をたのしむ」
など。
 これは本人しかいない内的世界ではそれも
いいが、音がまわりにもれてくることも考え
なくてはならない。【3】ウォークマンの音
もれ以外にも似た現象はいろいろある。
 「サークルのなかで、親しいふたりが、い
つもふたりだけで、とくべつ仲よくすること
のどこがわるいか」という者もいる。【4】
まわりの人はひがんでいるのだ、と思ってす
ませるつもりであろうか。
 狭いエレベーターのなかで、それまでの会
話を声高につづける人もいる。
 【5】たばこの投げすて、ガムの投げすて
は駅員さんがいちいちひろっている。
 寿司屋の職人が、あいまにたばこを吸いな
がらすしをにぎっており、床屋のおじさんは
、剃刀を片手にテレビを見ている。
 【6】いつかタクシーのなかの株式情報が
耳ざわりだったので、「ラジオを小さくして
くれませんか」と言ったら「なんでや?」と
聞き返してきた、運転手がいた。
 【7】謝恩卒業パーティーなどで、先生方
などまったく無視し て、ごちそうの前には
りついている盛装の学生も少なくない。
 これらは、自分のしたいことを好きなとき
にして、人には「迷惑はかけていないつもり
」のしぐさの例である。
 【8】人に迷惑をかけてはいない、という
のはまだ「消極的な生き方」であり、だれか
を積極的に思いやるとかだれかにまなざしを
投げかける、というのとはちがう。だれかに
まなざしを投げかけるとは、やさしさを相手
にふりむけることであり、これはより「積極
的な生き方」なのである。【9】これらすべ
ての例において、多くのひと、とくに独身貴
族といわれる人びとは、だれか特定の相手に
直接には「迷惑をかけていない」つもりでい
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るのであろう。
 【0】しかし、およそ、ひとに迷惑をかけ
てはいないつもりだ、ということは、せいぜ
い言いわけ程度の生き方である。これに対し
て、∵だれかを思いやるとか、たしなみのこ
ころを持ち、つつしみ深く生きる、というこ
ととは、月とすっぽんくらい違う生き方であ
り、プラスとマイナスの違いがあるのであり
、両者は決して同じことではない。
 わたしは街をよごしていない、というだけ
の人と、積極的にみぞ掃除をする人はちがう
。吸いがらを駅のホームに投げすてていない
というのと、毎朝ひろっている人とはちがう

 もともとわれわれの自由には二つある。ひ
とつはしたいことをする自由である。「そう
する」自由と権利がわれわれにはある。しか
し、自分の選択で、たとえそうできることで
も、自分はあえて「そうしない」という自由
もある。たとえばせまい診療所の待合室で 
は、あえてたばこを吸わないのは、その人の
やさしさであろう。むかし、田舎では、秋の
柿の木の実をわざといくつか残しておいて、
烏などに食べさせることにしていた。(中略

 たしかに公衆道徳は低下した。ひとには迷
惑はかけていないつもりの人が何と多くなっ
たことであろう。そういうことはしない、と
いう思いやり、つつしみ、やさしさをまわり
にふりまくひとがいなくなったら、その社会
はほろびる。
 しかし、社会、国家もいまそういう方向へ
むかっているのではないか。ひとこと声をか
けるとか、少し相手にもまなざしを向けるこ
とが、いま求められている小さな積極性であ
ろう。外食も、音楽 も、おしゃれもすべて
いま風にというのは、けっこうであるが、そ
れだけではまわりに友人をつくることはでき
ない。
 いま日本は見えない坂を転げ落ちているの
ではないか。それは見えないからだれも知ら
ないふりをしていることができる。そうして
気づいたとき、すべてが終わっているという
ことにならなければいいのだが。
 まじめな自分主義を超えて、もう一度人間
としての「つながり」と「つらなり」に目を
向けて生きる――これが市民として、いまわ
れわれ日本人に求められているのだ。

(小原信「シングル・ルームの生き方」より