長文集  12月1週  ○馬耳東風(感)  nu2-12-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/09/13 14:31:58
 【1】馬耳東風、ということばがある。
 他人のことばや意見などを心に留めないで
きき流すことを言う。馬の耳に念仏。こうい
う人間には何を言ってもしかたがない。われ
われはたいていのことをきき流しにしている
。【2】大事なことでも、左の耳から入った
らそのまま右の耳から出て行ってしまう。と
くに馬耳東風をきめこんでいるのではなくて
も、耳は馬の耳であ る。そして、馬はその
ことをご承知ないから、のんきなものだ。
 【3】学会などの研究発表では、たいてい
あとに質問の時間がある。かつては、ほとん
ど質問する人はなかった。外国人の講師だ 
と、不思議がる。どうして、日本人は質問を
しないのだろう。【4】全部賛成なのか。そ
れともすべてを無視しているのか、わからな
い。手ごたえがなくて不気味だ、と言う。馬
の耳では質問したくてもできないのだという
ことを彼等は了解しない。【5】われわれ自
身もわかっていない。
 先日、あるところで、日本人の耳は悪いと
いう話をしたら、あとでそんなことがあるも
のか、と反論された。病気にも自覚症状があ
るうちは軽いが、本当に重症になると自分の
悪いことがわからなくなってしまうことがあ
る。
 【6】「馬耳症」という病気も、自覚症状
がないところを見る と、膏盲(こうこう)
に入(い)ったと考えなくてはなるまい。集
団的にかかっている慢性病で、ひょっとする
と、死ななくては治らないかもしれない。
 【7】それでも、このごろの講演ではあと
に質問する人がふえ た。やっと日本も外国
なみになってきたかと喜んでいる人がある 
が、それはすこし早合点ではなかろうか。
 【8】その質問というのが、実に愚にもつ
かぬささいなことばのあげ足とりであること
が多い。講師がちょっとはさんだことばをと
りあげて、その使い方に異論をさしはさむ。
【9】講師がそれに答えるのだが、お互いの
頭にある考えがまるで違っており、自分の考
えだけが正しいと思っているから、質疑応答
をくりかえしている と、ますま∵すこんが
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らがってしまう。【0】すると、別の質問者
が立ち上って、第一の質問者の言ったことの
尻尾をつかまえて問題にする。それがまた第
三の質問者を誘発する。
 もとの話を全体として把握していないから
、どんどん枝葉末節へ話が散ってしまう。も
う何の話をしているのかわからない。それで
もあとで司会者は、活発な質疑がおこなわれ
て、と言う。冗談ではない。馬の耳にはまと
まったことを理解することができない。わか
るのはせいぜいニンジンの葉っぱくらいであ
る。(中略)
 相手の言うことをじっくりよくきくという
訓練ができていない。都合のいいところだけ
をこまぎれにきいて、それをつなぎあわせて
相手が言ったことにしてしまう。ことに立場
の違う人間同士のときにはこの傾向がつよい
。ときとしては、意識的に馬耳東風をきめこ
む。
 ひところ、対話をしよう、討論をしよう、
と言われたことがあ る。集まってカンカン
ガクガクの論をかわす。いかにも活発な意見
の交換があったようだが、要するに、自分の
言いたいことを勝手に言い合うだけである。
 相手の言い分など、はじめから問題にして
いない。だから話し合えば合うほど、感情的
になって、まとまる話もこわれてしまう。そ
のせいだろうか。このごろは、かつてのよう
に対話や討論が必要だとは言われなくなった

 ときに「きき上手」といわれる人もないで
はないが、これは耳がよくて、他人の意見を
よく理解するということではないようだ。う
まく受け答えして、相手に十分話させること
の意味である。
 意見が対立するとき、相手の言い分を誤り
なく理解するという意味での「きき上手」と
いうのには、ことばすらない。ことだまのさ
きおう国が、どうしてこういうことになった
のか。

(外山滋比古(とやましげひこ)「ことばの
作法」より)